日柳燕石

日柳 燕石（くさなぎ えんせき）

幕末の激動期を生きた志士、日柳燕石は、文化14年（1817年）に讃岐国那珂郡（現在の香川県仲多度郡琴平町）に生まれました。慶応4年（1868年）に52歳で没するまで、彼は単なる武士や学者にとどまらず、勤王の情熱を胸に秘めた博徒の親分という、極めて特異な道を歩みました。

生い立ちと学問

燕石は、幕府直轄地であった榎井村の豪農、加島屋に生まれました。父惣兵衛と母幾世にとって晩年に授かった子でした。幼い頃から聡明で、伯父の石崎近潔に学びの基礎を築き、13歳からは琴平の医師、三井雪航のもとで研鑽を積みます。三井雪航や岩村南里からは経史や詩文、奈良松荘からは国学や歌学を深く学び、詩文においては並外れた才能を発揮し、書画にも長じていました。当時の榎井村は、隣接する琴平（松尾村）が金毘羅大権現への参詣客で賑わい、全国各地から最先端の情報が集まる地でした。加島家という恵まれた環境と、こうした情報環境の中で、燕石は幼少より儒学に励み、14歳頃には四書五経を読み破るほどの秀才でした。広瀬淡窓が燕石の若き頃に感銘を受け、その人徳を称賛した記録も残っています。

侠客としての顔と勤王の情熱

学問に励む一方、燕石は侠気溢れる人物としても知られていました。21歳で両親を失い家督を継いだ後、詩作を楽しみながらも遊侠の道に入り、33歳頃までには千人を超える郷里の浮浪者たちの頭領となり、博徒の親分としても名を馳せます。しかし、彼の胸には熱烈な勤王思想がありました。国のため、私財を惜しみなく投じ、天下の志士たちと積極的に交流を深めます。こうした博徒と勤王志士という二つの顔を持つことから、「勤王博徒」と称される所以となりました。

燕石のもとには、幕吏の追跡から逃れるため、多くの長州藩や土佐藩などの志士たちが潜伏を求めてきました。彼は危険を顧みず、これらの志士たちを手厚く保護します。信濃の松尾多勢子の計らいで讃岐に逃れた村松文三も、燕石の家にかくまわれました。

高杉晋作を匿い、そして投獄

慶応元年（1865年）、長州藩の重要人物である高杉晋作が幕府から追われ、燕石を頼って榎井村に身を寄せました。燕石は晋作を匿い、無事逃亡させることに成功しますが、そのことが発覚し、晋作の身代わりとして逮捕されてしまいます。彼は高松の獄に足掛け4年間幽閉されるという過酷な運命に見舞われました。獄中でも彼の精神は衰えず、『皇国千字文』や『娑婆歌三関』といった著作を残しています。有名な「いせ海老の腰はしばらくかがめて居れど、やがて錦の鎧着る」という歌は、出獄時に詠まれたものとされています。

出獄後の活動と最期

慶応4年（1868年）正月、鳥羽・伏見の戦いを経て情勢が大きく変わる中、高松藩が朝敵の汚名を恐れたことで、燕石は獄舎から解放されます。出獄後間もなく、琴平に新政府の鎮撫所が置かれると、彼は長岡謙吉を補佐する立場で新政府のために働きました。その後、朝廷の赦免の命を受け京都に上り、召し出されて御盃を賜り、桂小五郎（木戸孝允）と共に西国地方の周旋という重要な任務を担います。

明治新政府のために奔走する中、燕石は仁和寺宮嘉彰親王が会津征討越後口総督として出征する際に、史官として従軍します。しかし、長年の投獄生活によって体を蝕まれていた彼は、従軍中に病に倒れ、越後柏崎で帰らぬ人となりました。享年52歳。その墓は新潟県柏崎市の招魂所にありますが、故郷の香川県琴平町榎井の先祖の墓所にも、爪髪が納められた墓が建てられています。

人物像、漢詩、そして伝説

燕石は短躯痩身で、顔は長く細長い目と高い鼻、少々痘痕のある容姿でした。自身の身長を気にする一面もありましたが、「身体の小は肝の大」と捉え、その気概を示しました。病弱な血筋を受け継ぎ、少年時代も病を患うことが多かったにも関わらず、三井竹窓や仲間の塾生が驚嘆するほどの熱心さで学問に打ち込みました。

彼の漢詩は、幕閣や諸侯を痛烈に批判する内容で知られています。特に盗賊との問答形式で、彼らの罪よりもはるかに重い為政者の大罪を暴く詩は、武士ではなく草莽の侠客であった燕石だからこそ詠むことができた告発詩と評されています。

また、燕石には侠客らしい逸話が数多く残されています。雲隣庵松翁が煙草入れを掏られた際、子分たちを動員して短期間のうちに取り返した話や、清水次郎長が金毘羅参りの帰途に燕石を訪ね、荒縄一本で勝負を決しようとした伝説は、彼の胆力と求心力の高さを物語っています。

彼の別宅は「呑象楼（どんぞうろう）」と名付けられました。これは、二階で酒を飲むと盃に金毘羅宮のある象頭山が映り込むことから、「象頭山を呑む」という意気込みを示したものと言われています。著書には『呑象樓遺稿』などがあります。

明治36年（1903年）、その功績が認められ、従四位を追贈されました。日柳燕石は、幕末という時代が生んだ、博徒でありながら勤王に身を捧げた、稀有な存在として記憶されています。

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