へんば餅

三重県伊勢市を代表する和菓子の一つに「へんば餅」があります。これは、江戸時代中期にあたる安永4年（1775年）に創業した老舗、有限会社へんばや商店によって製造・販売されています。伊勢神宮への参拝者をもてなす茶屋として歴史を刻み始めたへんばや商店が生み出したこの餅菓子は、その独特な形と風味が多くの人々に親しまれています。

餅の特徴

へんば餅は、一般的な餅菓子とは異なる特徴を持っています。まず、その形は丸く、厚みを持たずに平たく潰されています。そして、餅の両面には香ばしい焼き色がつけられています。餅の内部には、なめらかな漉し餡がたっぷりと包まれています。口にすると、その平たい形状ならではの独特な食感があり、中の餡の甘さと外側の香ばしさが絶妙な調和を生み出しています。

名称の由来

「へんば餅」という名前の起源については、主に二つの説が知られています。一つは、製造元であるへんばや商店が公式に説明している説です。これは、かつて伊勢神宮へ参拝する人々が各地から馬で訪れる際に、宮川を渡る手前の場所にあった「返馬所」で売られていた餅であるというものです。参拝客はここで馬を返し、徒歩で宮川を渡ったとされており、その「返馬」の場所で提供されたことから「へんば餅」と呼ばれるようになったとされています。

もう一つの語源説

もう一つの説は、言葉の響きに着目したものです。民俗学者の折口信夫は、その著書の中で「へんば」という言葉が大阪地方における「あばた（痘痕）」を指す方言として用いられていたことを記しています。この方言は現在ではほとんど使われませんが、かつては三重県南部から奈良県、大阪府にかけて広く使われていたとされています。三重県の東紀州地方には、小麦粉を練って焼いた郷土菓子「へんば焼き」が存在しますが、これも表面についた焦げ目が「あばた」、すなわち「へんば」に似ていることに由来するという説があります。へんば餅の表面の焼き色も、この「あばた」を連想させる要素があったのかもしれません。

由来に関する伝承と解釈

地元には、へんば餅の由来にまつわる古い昔話が語り継がれています。この伝承の内容は、その名前が「へんば」、つまり「あばた」を連想させるような話であり、本来は餅の見た目が「あばた」に似ていたことに由来するものではないか、という説が存在します。しかし、食べ物を病気の痕になぞらえることを避けるため、後世になって参宮街道の三宝荒神鞍掛の馬に関する話と結びつけられ、「返馬」という文字が当てられるようになったのではないか、とも考えられています。このように、「へんば餅」という名称には、公式な由来伝承だけでなく、言葉の響きや昔話に隠された別の意味合いも含まれている可能性が示唆されています。

製造元「へんばや商店」の歴史

へんばや商店は、安永4年（1775年）に伊勢神宮参拝道中の宮川のほとりで、参拝客向けの茶屋として創業しました。これがへんば餅の誕生の地とされています。太平洋戦争中の昭和18年（1943年）には一時休業を余儀なくされましたが、戦後間もない昭和29年（1954年）12月に営業を再開しました。昭和50年（1975年）に有限会社化され、その後、昭和53年（1978年）には宮川店を開店するなど店舗展開を進めました。特に宮川店は、平成22年（2010年）に新築された際にグッドデザイン賞を受賞するなど、その建築も注目されました。その後も、おはらい町店（平成23年）、伊勢市駅前店（平成29年）と、伊勢市内の主要な場所に店舗を増やし、多くの人々がへんば餅を手に取りやすい環境を整えています。

過去の表示問題

平成19年（2007年）には、へんばや商店が製造する商品の一部で、原材料表示に不備があったことが明らかになりました。これは、製造元から三重県への申し出により発覚したもので、具体的には「水飴」と「食塩」の記載漏れ、原材料の表示順序が重量順ではなかったこと、一部の商品で消費期限以外の表示が見えにくい状態であったことなどが確認されました。これに対し、伊勢保健所と三重県農水商工部による立ち入り検査が行われ、へんばや商店は指導を受けて表示を訂正しました。最終的に、食品衛生法違反に対して始末書処分、JAS法違反に対して文書指導という行政指導が行われました。この件以降、へんばや商店では表示に関する管理を徹底していると考えられます。

まとめ

へんば餅は、伊勢の長い歴史と文化の中で生まれ育まれた餅菓子であり、その名前には複数の興味深い由来説が intertwined しています。伊勢神宮参拝の途中に立ち寄る茶屋から始まったへんばや商店によって、240年以上の時を経て今に伝えられるこの餅菓子は、伊勢を訪れる人々にとって欠かせない土産物、あるいは地元の人々にとって馴染み深い味として愛され続けています。その素朴ながらも計算された形状、焼き加減、そして上品な漉し餡の組み合わせは、伊勢の風情を感じさせる逸品と言えるでしょう。

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