アハシュエロス王の前のエステル (アルテミジア・ジェンティレスキ)

作品概要

『アハシュエロス王の前のエステル』は、イタリアのバロック期を代表する女性画家アルテミジア・ジェンティレスキが1620年代に制作した油彩画です。この作品は、『旧約聖書』のエステル記に登場するヒロイン、エステルがペルシア王アハシュエロスにユダヤ民族の救済を懇願する場面を描いています。現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されており、アルテミジアの作品の中でも特に野心的な作品の一つと評価されています。

主題と背景

物語は、モルデカイに育てられたエステルが、自身の出自を隠してアハシュエロス王と結婚するところから始まります。その後、王がペルシア帝国内のユダヤ人全員を処刑する命令を下した際、エステルは王の許可なく王の前に現れ、自身の民族の救済を求めます。この行動は宮廷の作法に反しており、エステルは死の危険を冒してまで民を救おうとしたのです。この場面で、エステルは王の前で失神してしまいます。彼女の行動は最終的に王の決意を和らげ、ユダヤ人の虐殺を阻止することに繋がりました。

作品の特徴

この絵画では、エステルが失神する瞬間が捉えられています。アルテミジアは、聖書の物語を背景にしつつも、当時の服装や舞台設定を用いることで、より身近に感じられる表現を試みています。画面左端のエステルは明るく照らされ、洗練された衣服を身に着けていますが、対照的に画面右端のアハシュエロス王は影の中に描かれ、豪華な衣装と羽飾りの帽子を着用しています。この対比は、エステルを物語の主人公として際立たせるだけでなく、女性であるエステルの優位性をも示唆しています。

また、X線調査によって、アハシュエロス王の膝の近くに黒人の少年が描かれていた痕跡（ペンティメント）が発見されました。この少年は、犬がエステルに跳びかかろうとするのを阻止しようとしていたようです。

図像的源泉と影響

このテーマは当時の他の画家も描いており、例えばグエルチーノも同様の場面を作品にしています。グエルチーノの作品では、エステルが気を失い、侍女に支えられる様子が描かれており、エステルと王の関係を聖母マリアとキリストの象徴として捉えようとしたと考えられています。また、アルテミジアとグエルチーノの作品に共通して描かれるザクロは、聖母マリアの純潔と不死を象徴しています。

アルテミジアはカラヴァッジョの影響を強く受けており、本作でもその影響が見られます。特に、エステルとアハシュエロス王の力関係は、カラヴァッジョ作品における性別の曖昧さや逆転を彷彿とさせます。エステルは失神しているものの、王と並んで威厳のある人物として描かれており、彼女の優位性が強調されています。さらに、エステルの筋肉質な首は、ミケランジェロの『ハマンの処刑』に描かれたハマンの姿と類似性が見られます。

また、構図の一部は、パオロ・ヴェロネーゼの同主題の作品から影響を受けていると考えられます。例えば、エステルと侍女の配置や、王の座る台座の形状などが類似しています。

制作年代

制作年代については諸説ありますが、1630年代の最初のナポリ時代とする説が有力です。一方で、1620年代初頭のローマ時代とする説もありますが、衣装の様式やアルテミジアのヴェネツィア旅行を考慮すると、1630年頃とする説が有力です。

来歴

この絵画の来歴は不明な点が多く、最初に記録されたのは1856年のウィーンのハラッハ伯爵家のコレクションの目録です。その後、ローマのアレッサンドロ・モランドッティ、ナサニエル・ピーター・ヒル4世を経て、1969年にメトロポリタン美術館に寄贈されました。

まとめ

アルテミジア・ジェンティレスキの『アハシュエロス王の前のエステル』は、バロック美術の力強さと、女性の視点からの物語解釈が融合した傑作です。聖書の場面をドラマチックに描きつつ、アルテミジア自身の画風や影響も感じられる、非常に魅力的な作品と言えるでしょう。

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