ウィッチェ

ウィッチェ (Hwicce)

ウィッチェは、アングロ・サクソン七王国時代（5世紀から10世紀頃）にグレートブリテン島東南西部に存在した、比較的小規模な王国です。その版図は、現在のイングランドにおけるグロスタシャー州やウスターシャー州にあたる地域に広がっており、ウースターの司教区と境界を接していました。国名はHwicceと表記されるのが一般的ですが、HwiccaやWiccaといった綴りも見られます。興味深いことに、その正確な発音も特定されておらず、「フウィス」「ホウィッケ」「ウィッケ」など、いくつかの読み方が伝わっています。このウィッチェという固有名詞に由来すると考えられている地名は、現在も確認できます。例えば、オックスフォードシャー州のウィッチウッドや、ウォリックシャー州のウィッチフォードといった地名が挙げられます。

この王国は7世紀後半に、エンヘレとエンフリッドという兄弟によって建国されたとされています。その成立には、当時のアングロ・サクソン諸王国の中で急速に勢力を拡大していたマーシア王国の影響があったと考えられており、特に強力な支配者であったペンダ王の助力を得て建国された可能性が指摘されています。ウィッチェは王を戴く国家体制をとっていましたが、必ずしも単独の王が継続して統治したわけではなく、資料からはこの兄弟による共同統治が行われた期間もあったことがうかがえます。

ウィッチェ王族の系譜は、当時の政治情勢と絡み合ってやや複雑な様相を呈しています。初代王とされるエンヘレは、マーシアの強い影響下にあったにもかかわらず、当時のマーシアと対立することもあった北方の強国ノーサンブリア王家の娘であるオスリスを妻として迎えています。エンヘレとオスリスの間にはオスリックという息子が生まれたとされています。しかし、別の文献では、このオスリスがマーシア王エゼルバルドの妻であると記されており、オスリックはエゼルバルドの「近親者（Nepotes）」と表現されています。この記述の食い違いを説明する有力な推測としては、オスリスがまずウィッチェのエンヘレに嫁ぎ、エンヘレの死後または離別後にマーシア王エゼルバルドと再婚したため、オスリックがエゼルバルドの継子として「近親者」と記されたのではないか、という説が提示されています。

また、敬虔な修道士であり歴史家として名高いベーダ・ヴェネラビリスの著述によれば、二代目の王とされるエンフリッドと彼の娘はキリスト教に改宗した人物であったと記録されています。ベーダは自らローマ系キリスト教の立場に立ち、ブリテン島への再伝道に貢献したグレゴリウス1世などの業績を詳細に記していますが、なぜかウィッチェにおけるキリスト教の伝道や受容に関する具体的な状況については何も触れていません。このベーダの沈黙から、ウィッチェへのキリスト教の浸透は、ローマからの直接的な伝道よりも、むしろブリテン島西部に古くから根付いていたケルト系キリスト教の影響によるものだったのではないかと推測されています。ウィッチェが位置していたブリテン島西部は、ローマ帝国による統治時代に築かれた都市や社会基盤が、東部地域に比べて比較的よく維持されており、ローマン・ブリトン人によるキウィタス（市民共同体）のような政治的・社会的単位が存続していた地域でした。これらの共同体は、教会を中心にキリスト教信仰を維持しており、オスリック王がグロスターに大きな教会（ミンスタ教会）を建立し、その維持のために広大な土地（300ハイド）を寄進するなど、教会勢力は強い基盤を持っていたと考えられます。

政治的な地位という点では、ウィッチェは建国当初の7世紀末には、君主が独立国の王を示す「rex Huiccorum」という称号を用いていたことからも分かるように、ある程度の独立性を保っていました。しかし、東隣に位置するマーシア王国が国力を増大させ、イングランド中央部における覇権を確立していくにつれて、ウィッチェは急速にその影響下に入っていきました。特に、マーシアの強力な王であったエゼルバルドやオファの時代には、ウィッチェは事実上、マーシアの従属国と変わらない立場に置かれていきました。8世紀に入ると、ウィッチェの支配者が名乗る称号も「regulus propriae gentis Huicciorum」（ウィッチェ人の小王）という、限定的な権威を示すものに変化しました。そして、8世紀末にはマーシア王国内における単なる「公（dux）」という位置づけに降格し、独立した部族国家としての実態は完全に失われることとなりました。このように、ウィッチェは建国からわずか百年余りの間に、独立国からマーシア王国の一部へとその姿を変えていったのです。

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