ウグラ河畔の対峙

ウグラ河畔の対峙：モンゴル支配終焉の象徴

1480年、ロシア北部のウグラ川流域で、モスクワ大公国イヴァン3世と大オルダのアフマド・ハン率いる軍勢が対峙しました。この出来事は、軍事衝突は起こらなかったものの、ロシアの歴史において「タタールのくびき」の終焉を示す象徴的な出来事として位置付けられています。

背景：勢力拡大と不安定な国際情勢

15世紀後半、イヴァン3世は周辺諸公国を次々と征服し、モスクワ大公国の勢力を急速に拡大していました。一方、大オルダはトクタミシュの敗亡後、各地で勢力が分裂し、その支配力は弱まっていました。この状況下、大オルダはポーランド・リトアニアと同盟を結び、モスクワはクリミア・ハン国と同盟するなど、国際関係は複雑に絡み合っていました。イヴァン3世は、兄弟の反乱やリヴォニア騎士団の侵攻にも対応しつつ、大オルダの圧力に対処しなければなりませんでした。

大オルダのアフマド・ハンは、モスクワへの貢納を要求しましたが、イヴァン3世はこれを拒否。歴史書『カザン史』には、イヴァン3世がハンの肖像に唾を吐きかけたという逸話も伝わっていますが、その信憑性は定かではありません。しかし、イヴァン3世が貢納を拒否したことは、大オルダに対する抵抗の意志を示す重要な出来事だったと考えられます。

経過：ウグラ川での膠着状態

1480年5月下旬、アフマド・ハンの侵攻の報せがモスクワに届きます。イヴァン3世は軍を動かし、オカ川南岸に布陣。アフマド・ハンもウグラ川付近に陣を構えました。両軍はウグラ川を挟んで対峙し、小規模な戦闘が数日間続きましたが、決定的な戦闘には至りませんでした。

アフマド・ハンはポーランドからの援軍を期待していましたが、それは実現せず、クリミア・ハン国の侵攻への対応にも追われていました。一方、イヴァン3世は、川が凍結する前に撤退し、有利な防御陣地を確保するという戦略を取りました。

両軍は膠着状態が続きましたが、川が凍り始めると、アフマド・ハンは撤退を決断。11月7日に撤退を開始し、イヴァン3世はモスクワへ帰還しました。

アフマド・ハンからの書簡：体面を保つための外交努力

撤退後、アフマド・ハンはイヴァン3世に書簡を送りました。この書簡には、クリミア・ハン国への侵攻やモスクワへの要求などが記されており、大オルダの衰退を示唆する内容となっています。

ウグラ河畔の対峙の影響：モスクワの台頭と国際関係の変化

ウグラ河畔の対峙は、直接的な戦闘による決定的な勝利ではなかったものの、大オルダの衰退を象徴する出来事でした。アフマド・ハンはその後、シビル・ハン国の攻撃を受けて死亡し、大オルダは内紛とクリミア・ハン国との抗争によって滅亡しました。

ロシアにおいては、この出来事が「タタールのくびき」の終焉と見なされています。しかし、現代の史学では、この対峙によってモスクワと大オルダの関係が劇的に変化したとは必ずしも言えず、モンゴル支配の弱体化とモスクワの台頭を象徴する出来事の一つとして捉えられています。また、リトアニアとの関係にも影響を与え、モスクワの西への領土拡大につながりました。

参考文献

G.ヴェルナツキー著/松木栄三訳『東西ロシアの黎明―モスクワ公国とリトアニア公国』(風行社、1999年）
A.A.ゴルスキー著/宮野裕訳『中世ロシアの政治と心性』(刀水書房、2020年）
赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房、2005年）
赤坂恒明「ペルシア語・チャガタイ語諸史料に見えるモンゴル王統系譜とロシア｣『北西ユーラシアの歴史空間』(北海道大学出版会、2016年）
川口琢司/長峰博之「15世紀ジョチ朝とモスクワの相互認識｣『北西ユーラシアの歴史空間』(北海道大学出版会、2016年）
土肥恒之『ロシア・ロマノフ王朝の大地』(講談社学術文庫、2016年）

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