エジプトへの逃避 (ルーベンス)

ピーテル・パウル・ルーベンス「エジプトへの逃避」

ピーテル・パウル・ルーベンスが1614年に制作した油彩画『エジプトへの逃避』は、聖家族がヘロデ王の迫害を逃れ、エジプトへ避難する場面を描いています。この作品は、ルーベンスの作品としては珍しく署名と年記が入っており、1735年にヴィルヘルム8世によって購入され、現在はカッセル古典絵画館に所蔵されています。

主題と背景

この絵画の主題は、新約聖書「マタイによる福音書」に記された「エジプトへの逃避」です。天使のお告げを受けたヨセフは、ヘロデ王が生まれたばかりの「ユダヤ人の王」を殺害しようとしていることを知り、妻マリアと幼子イエスを連れてエジプトへ逃げることを決意します。

作品の特徴

ルーベンスは1610年代、夜景を描くことに強い関心を示しており、それはイタリア滞在中に影響を受けたカラヴァッジョやアダム・エルスハイマーの影響によるものです。特に、エルスハイマーの銅版画『エジプトへの逃避』は、この作品に大きな影響を与えています。ルーベンスは、エルスハイマーの作品を直接見たわけではなく、友人からの描写を通じて知っていたようです。ルーベンスはエルスハイマーの絵画の中央に描かれた聖家族のモチーフを参考にし、敬意を表しています。

ルーベンスもエルスハイマーも、聖家族のエジプトへの逃避を夜景として描いていますが、両者の構成には違いが見られます。エルスハイマーの絵画では風景が大きな割合を占めているのに対し、ルーベンスの絵画では聖家族を前景にクローズアップし、2人の天使が彼らを導く姿を強調しています。ルーベンスは風景をほとんど暗闇に覆い隠し、聖家族のドラマ性を際立たせています。右端には、月が映る湖の景色がわずかに見えますが、エルスハイマーが描いた満月とは異なり、細い三日月が描かれています。

光の表現と宗教的意味

ルーベンスは本作で光源を2つに絞っています。幼子イエスの身体から発する聖なる光と、右端に見える月の自然光です。聖なる光は、世界を照らすキリストの象徴であり、画面の中央に聖なる奇跡を配置する、対抗宗教改革時代のカトリックの図像を忠実に用いています。聖家族の心情を表すドラマ性が増し、ヨセフが後ろを振り返り、湖の岸に微かに見える馬上の人物を見ている姿は、緊迫感を高めています。この作品は、ルーベンスの夜景に対する関心と、エルスハイマーの影響、そして宗教的な主題への深い理解が融合した、バロック絵画の傑作と言えるでしょう。

参考文献

山崎正和、高橋裕子『ルーベンス』中央公論社〈カンヴァス世界の大画家 13〉、1982年12月。ISBN 978-4-12-401903-2。
大島力『名画で読み解く「聖書」』、世界文化社、2013年刊行　ISBN 978-4-418-13223-2

外部リンク

* カッセル古典絵画館公式サイト、ピーテル・パウル・ルーベンス『エジプトへの逃避』 (ドイツ語の英訳)

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