エジプト逃避途上の休息 (カラヴァッジョ)

『エジプト逃避途上の休息』は、17世紀イタリア・バロックを代表する画家カラヴァッジョが、油彩で描いた作品です。1597年頃、パトロンであったピエトロ・ヴィットリーチェの依頼で制作されました。現在、この絵画はローマのドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されており、同じくヴィットリーチェの依頼で制作された『悔悛するマグダラのマリア』も同美術館に所蔵されています。

主題

この作品の主題は、『マタイによる福音書』に記された聖書の一節に基づいています。幼いイエス・キリストの養父ヨセフは、天使からのお告げを受け、ヘロデ大王の迫害から逃れるため、聖母マリアとイエスを連れてエジプトへ逃れることを決意します。この逃避行の途中、聖家族が休息している場面が描かれています。

作品

絵画の中央には、後ろ向きの天使がヴァイオリンを奏で、聖家族を慰めています。天使の姿は、優美なマニエリスムの影響を受けていると考えられます。画面左側では、ヨセフが楽譜を持ちながら天使を見つめており、その後ろにはロバの目が描かれています。右側には、穏やかな川辺の風景が広がり、聖母マリアが幼子イエスを抱きながら眠っています。聖母子の安らかな姿は、カラヴァッジョの他の作品とは異なる、独特の抒情性を帯びています。聖母マリアのポーズは、『悔悛するマグダラのマリア』のポーズと類似しており、同一のモデルである可能性も指摘されています。このモデルは、アンナ・ビアンキーニという名の娼婦であるという説もあります。

天使が中央に配置された大胆な構図は、アンニーバレ・カラッチの作品に影響を受けた可能性があります。この構図によって画面は二分されており、聖母子がいる右側の空間は水と緑に満ちている一方、ヨセフがいる左側の空間は枯れ木や石が転がる荒涼とした風景となっています。この左右の対比は、天の民である聖母子と地の民であるヨセフの対比を示唆しているとも解釈できます。

この絵画の注目すべき点は、音楽が主役となっている点です。ヨセフが持つ楽譜には、フランドルの作曲家ノエル・バウルデウィンのモテット『あなたはなんと美しく楽しいおとめか』の一部分が正確に描かれています。この楽譜は、歌詞のないヴァイオリンパート譜であり、注文主のヴィットリーチェ家が音楽愛好家であったことから、彼らの所持品であった可能性が指摘されています。

絵画に楽譜を描き込むというアイデアは、ジローラモ・サヴォルドの作品など、北イタリアの絵画に先例が見られます。また、天使が弾くヴァイオリンは、初期の近代ヴァイオリンを示す貴重な資料であるとされています。

背景の風景も注目すべき点です。カラヴァッジョの故郷であるロンバルディア地方やヴェネツィア派絵画を彷彿とさせますが、ヴェネツィア派絵画に一般的な牧歌的な風景とは異なり、緊迫した雰囲気が漂います。カラヴァッジョは本作以降、風景を描くことはなくなり、人間のドラマに焦点を当てるようになります。

この絵画に見られる抒情性や音楽への愛は、神愛オラトリオ会の教えに共感していたピエトロ・ヴィットリーチェの要望に沿うものだったと考えられます。カラヴァッジョは、天使やヨセフ、聖母子を日常の延長線上にあるように描いています。美術史家のヘルマン・フォスは、この絵画を「静物のように描かれている」と評しており、ヨセフの足の指、ロバの目、ヴァイオリンの弦、天使の白衣、藁で巻かれた瓶など、細部に至るまで鑑賞者の興味を引きつけます。

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