キャリー・マリス

キャリー・バンクス・マリス（Kary Banks Mullis, 1944年12月28日 - 2019年8月7日）は、現代分子生物学に不可欠な技術であるポリメラーゼ連鎖反応（PCR）法を発明したことで世界的に知られるアメリカ合衆国の生化学者です。この画期的な技術開発の功績により、彼は1993年にノーベル化学賞を受賞しました。

マリスは1944年にノースカロライナ州レノアで生を受け、サウスカロライナ州コロンビアで育ちました。ジョージア工科大学を卒業後、1973年にはカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得しています。その後、カリフォルニア州に移り住み、バイオテクノロジー企業であるシータス社に研究員として加わりました。

シータス社での勤務中、マリスは微量のDNAから特定の領域を効率的に、かつ大量に複製する方法を模索していました。そして1983年のある夜、運転中に後にPCR法と呼ばれることになるDNA増幅技術のアイデアが突如として頭の中で組み上がりました。その閃きはあまりにも鮮烈で、彼は車を路肩に寄せ、手元にあった紙に化学式を書き留めたといわれています。この発見に興奮したマリスは、すぐに過去の論文を調べましたが、同様のアイデアが発表されていないことを確認しました。しかし、彼の画期的なアイデアを同僚に話しても、その重要性は十分に理解されませんでした。

それでも研究を続け、1983年12月16日には実験的な成功を収めます。この分子生物学の常識を覆す可能性を秘めた発明を周囲に伝えても、その真価はすぐには認識されませんでした。友人からは会社を辞めて自分でパテントを取得することを勧められましたが、当時のマリスはシータス社での研究を楽しんでおり、会社の一員として論文を発表することを選択しました。

マリスが開発したPCR法は、その後、好熱菌から発見された熱安定性の高いDNAポリメラーゼであるTaqポリメラーゼを用いる改良が加えられ、より簡便で効率的な手法へと進化しました。この改良されたPCR法は、分子生物学の研究はもちろん、遺伝子診断、感染症検査、犯罪捜査におけるDNA鑑定、親子鑑定など、幅広い分野で不可欠な基本技術となり、地球上の分子生物学の進展に計り知れない影響を与えました。彼は後に免疫関連の研究を行うベンチャー企業を率いた経験も持っています。

マリスは科学的才能を持つ一方で、その型破りなパーソナリティでも知られていました。彼は熱心なサーファーであり、ノーベル賞受賞決定の知らせを受けた際にも海辺でサーフィンをしていたというエピソードは有名で、「サーファーにノーベル賞」と報じられました。また、過去のLSDやマリファナの使用を公言するなど、既存の価値観にとらわれない発言も多く、時には奇行とも受け取られました。ノーベル賞については、自身の言動から受賞は難しいと考えていたようですが、受賞連絡を受けた際には大喜びしたといいます。ノーベル賞授賞式後の晩餐会では、スウェーデンの国王夫妻に対し、娘であるヴィクトリア王女に関する大胆な提案をしたことも伝えられています。

彼の型破りな姿勢は、科学的見解にも表れていました。マリスは、医学界の主流である「HIVがエイズの原因である」という説に対して懐疑的な立場を取り、コッホの三原則に照らし合わせても証明は不十分であると主張しました。これはエイズ否認論者としての批判を受ける一因となりました。さらに、フロンガスによるオゾン層破壊や地球温暖化といった、科学界で広く受け入れられているコンセンサスに対しても否定的な見解を示すなど、しばしば主流から外れた独自の主張を展開しました。

PCR法の開発により、マリスはノーベル化学賞の他にも、ウィリアム・アラン賞、ガードナー国際賞、ロベルト・コッホ賞、日本国際賞など、数多くの権威ある賞を受賞し、その科学的貢献は国際的に高く評価されています。1998年には全米発明家殿堂入りも果たしました。

キャリー・バンクス・マリスは、PCR法という革新的な技術によって現代分子生物学に革命をもたらした偉大な科学者であると同時に、その自由奔放で型破りな言動から、多くのエピソードや議論を呼んだ個性的な人物でした。彼の生涯は、純粋な科学的探求心と、既成概念にとらわれない大胆な精神が共存しうることを示しています。

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