クエンティン・マサイス

クエンティン・マサイス（Quentin Massys, Quinten Matsijs、1465/66年 - 1530年）は、フランドル地方（現在のベルギー）を代表する画家の一人です。ルーヴェンで鍛冶屋の息子として生まれた彼は、画家として独自の道を切り開き、宗教画、風俗画、肖像画など、幅広いジャンルで傑作を数多く残しました。

マサイスの初期の経歴には不明な点が多く残されていますが、ルーヴェンの画家ディルク・ボウツの工房で修業を積んだと考えられています。1491年にはアントワープに移り、同地の画家組合に親方として登録され、その才能を開花させました。1492年頃に最初の結婚をし、その後再婚をして、13人の子供をもうけています。その中にはフォンテーヌブロー派の影響を受けた画家ヤン・マサイスも含まれています。また、同名の孫クエンティン・マサイスも画家として名を残しています。

マサイスの初期の作品は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ディルク・ボウツ、フーゴー・ファン・デル・グースといった巨匠たちの影響を受けた宗教的な主題が中心でした。しかし、次第に風俗的な絵画へと関心を移し、その画風もより技巧的で優雅なものへと変化していきました。特に注目されるのは、イタリア・ルネサンス、とりわけレオナルド・ダ・ヴィンチからの影響です。それは、スフマートの技法や、カリカチュア表現、肖像画の構図などに顕著に表れています。同時に、ヤン・ファン・エイクらフランドル絵画の伝統的な手法も取り入れ、独自の芸術様式を確立しました。晩年には、画力の衰えが見られ、作品に感傷的な傾向が強まったと評されています。

マサイスの風俗画は、単なる日常風景を描いたものではなく、道徳的な教訓を内包している点が特徴です。人間の不徳や生命の儚さを告発するようなテーマが多く、これらのジャンルの開拓者とみなされています。代表作である『両替商とその妻』や『不釣り合いなカップル』は、当時の社会風俗を映し出しつつ、エラスムスの著作との関連も指摘されています。特に『不釣り合いなカップル』は、エラスムスの『痴愚神礼讃』の一節を想起させ、社会に対する風刺的な視点を示しています。

また、彼の作品には、グロテスクな表現への偏愛が見られ、若い男女と老いた男女の組み合わせを好んで描いた点も特徴的です。この点はダ・ヴィンチの作品にも共通しており、両者が互いに影響を与え合った可能性も示唆されています。マサイスはエラスムスとも親交があり、肖像画も手掛けています。

代表作

『聖なる親族祭壇画』（1507年-1509年）ブリュッセル王立美術館
『聖母子と天使たち』（1509年ごろ）リヨン美術館
『指物師ギルドの祭壇画』（1511年ごろ）アントワープ王立美術館
『醜女の肖像』（1513年頃）ナショナル・ギャラリー（ロンドン）
『聖母子と子羊』（1513年頃）ポズナン国立美術館
『両替商とその妻』（1514年）ルーヴル美術館
『エラスムスの肖像』（1517年）バルベリーニ美術館
『ペトルス・アエギディウスの肖像』（1517年以降）ロング・フォード（アイルランド）、ラドノール・コレクション
* 『不釣り合いなカップル』（1520年代）ナショナル・ギャラリー（ワシントン）

マサイスの作品は、その写実的な描写力、複雑な構図、そして道徳的なメッセージ性において、同時代の他の画家たちとは一線を画しています。彼は、フランドル絵画の伝統を受け継ぎつつ、ルネサンスの新たな潮流を取り入れ、独自の芸術世界を築き上げました。その作品は、今日においても高く評価され、美術史における重要な位置を占めています。

もう一度検索