クラ (交易)

「クラ（Kula）」は、パプア・ニューギニア東部のマッシム地方に暮らす人々によって行われる、独特な儀礼的交易システムです。トロブリアンド諸島、ルイジアード諸島、ウッドラーク島、ダントルカストー諸島など、多様な言語や文化を持つ島々の民族がこの交易に参加しており、「クラ交易」とも呼ばれます。その交易ネットワークが環状に広がっていることから、「クラ・リング」とも称されています。これは単なる物々交換とは異なり、参加者間の関係構築や社会的地位の向上に深く結びついた、複雑な文化慣習です。

歴史的背景
この交易には長い歴史があります。先史時代には、パプア・ニューギニア本土とトロブリアンド諸島を結ぶ、現在とは異なる直線的な交易路が存在したと考えられています。約500年前には、トロブリアンド諸島でパプア・ニューギニア本土由来の土器が見つかっており、コリンウッド湾産の土器とトロブリアンド産の黒曜石は、どちらもファーガソン島を経由して交換されていたと推測されています。

交易の仕組み

参加者: クラには、複数の部族から選ばれた男性たちが参加します。一度この交易に関わった人物や、交換される特定の品物（ヴァイグア）は、生涯にわたってクラの体系に属することになります。クラは通常、一つの村または複数の村がまとまった共同体を単位として行われ、共同体のメンバーは一体となって交易に関わります。

ヴァイグア（交換品）: クラで交換される主要な品物は、「ヴァイグア」（キリウィナ語）と呼ばれる2種類の貴重な貝殻製品です。一つは赤い貝から作られる首飾り「ソウラヴァ」で、クラ・リングを常に時計回りに移動します。もう一つは白い貝から作られる腕輪「ムワリ」で、こちらは反時計回りに移動します。これらのヴァイグアは、大規模な儀式や祝祭といった重要な機会にのみ身につけられる装飾品であり、日常的に使用されることはありません。一つのヴァイグアがクラ・リングを一巡するには、短いもので2年、長いもので10年以上の歳月がかかると言われています。

取引方法: クラの取引は厳格なルールに基づいて行われます。取引相手に対して、一方のヴァイグア（ソウラヴァかムワリ）を「ヴァガ」と呼ばれる贈り物として提示します。贈り物を受け取った相手は、その返礼として必ずもう一方のヴァイグア（ヴァガとは逆の品物）を「ヨティレ」として贈り返さなければなりません。例えば、ソウラヴァを受け取った場合は、後日ムワリを返礼として用意します。この交換においては、一般的な市場取引のような議論や競り、その場での即時交換は一切禁止されています。返礼の品が贈られるまでには、数ヶ月から1年以上かかることも珍しくありません。受け取ったヴァイグアと同等、あるいはより価値のある品物を返礼することが期待されますが、贈られる品物の価値を最終的に決定するのは贈る側です。もし返礼品に不満があったとしても、それを取り消したり、取引を無効にしたりする方法はありません。クラは、日常的な物々交換である「ギムワリ」とは明確に区別されており、クラの作法を無視した交換を行った者は、「ギムワリのようにクラをした」と非難されることがあります。

種類と形態
クラには、共同体内部や隣接する共同体間で行われる比較的小規模な内部取引と、島々を越えた遠洋航海を伴う大規模な外部取引があります。また、多くのヴァイグアが集まる特別な機会や、食料不足、重要な人物の死去などをきっかけに行われる、競争的で大規模な「ウヴァラク」と呼ばれるクラと、より日常的な小規模な「クラ・ワラ」に分けられます。

付随する要素

呪術: 遠洋航海を伴うクラには、特別な航海カヌー（ワガ）の使用が不可欠であり、これに関連した様々な呪術が伴います。安全な航海を祈る呪術、カヌー建造に関する呪術のほか、クラにおいて自身の魅力を高め、交渉を有利に進めるための「ムワシラ」と呼ばれる美容や説得の呪術などが行われます。

副次的交易: クラはヴァイグアの交換を核としますが、これに付随して、参加者間では日常的な品物や天然資源の物々交換も盛んに行われます。クラの航海中に、相手が欲しがるかもしれない日用品を積んでいき、ヴァイグアの贈り物と併せて提供し、代わりに故郷に持ち帰る物品を手に入れるといった形で取引が行われます。ヴァイグアほど重要視されないものの、食物の贈り物（ポカラ、クワイポル）、クラの対象外の宝物（カリブトゥ）、小さな宝（コロトムナ）、返礼がすぐにできない場合に一時的に渡される品物（バシ）など、様々な種類の贈り物がクラの関係の中でやり取りされます。

準備: 遠洋航海を伴うクラ遠征隊の準備は、共同体全体で行われる一大イベントです。大型カヌーの建造には専門の船大工が雇われ、その対価の支払いが行われます。また、遠征隊のために食料の再配分（サガリ）が大規模に行われるなど、共同体内の経済活動も活発になります。

機能と社会的意義
人類学者のブロニスワフ・マリノフスキーは、クラが持つ多様な機能と社会的意義を明らかにしました。彼はクラが、数百キロメートルも離れた島々に暮らす人々を、贈り物と奉仕という相互的な交換を通じて結びつけ、複雑な規則に基づいた義務のやり取りを通じて部族間に網目状の関係を築く役割を果たしていると指摘しました。また、クラのネットワークを通じて、日常品だけでなく、習慣、歌、舞踊といった芸術や文化も伝えられます。ヴァイグアは一時的にしか所有されない品ですが、その所有や交換における成功は、参加者に大きな名声と威信をもたらします。クラにまつわる功績や逸話は語り継がれ、人々の間で競争心、所有欲、そして名誉欲を刺激します。さらに、クラの航海に付随して行われる副次的交易は、それぞれの島で産出される異なる天然資源や日用品の流通を促進し、人々の物質的生活を支える重要な経済的機能も担っています。特に、クラ・リングの交易圏の端に位置するトロブリアンド諸島では、クラに参加できる人数が限られ、交換される財貨も相対的に少ないことから、クラが首長による権威の維持・強化に重要な役割を果たしており、首長制が発達した一因とも考えられています。

研究史
クラは、そのユニークな性質から、人類学の古典的な研究対象となってきました。特に、ブロニスワフ・マリノフスキーが1922年に発表した民族誌の金字塔『西太平洋の遠洋航海者』の中で詳細に記述されて以来、多くの研究者の関心を集めました。マリノフスキーは、交換されるヴァイグアを単なる財産ではなく、所有することで名声を得られる「トロフィー」に例えて論じました。また、フランスの社会学者マルセル・モースは、彼の著名な著作『贈与論』の中で、世界各地の贈与と交換の体系の一つとしてクラを取り上げ、その社会的機能や義務について分析しました。経済人類学者のカール・ポランニーも、『人間の経済』の中で、市場経済とは異なる経済統合の形態である「互酬」の代表例としてクラを論じています。これらの研究を通じて、クラは単なる経済活動ではなく、社会関係、文化、政治、宗教などが複雑に絡み合った全体的な現象として理解されるようになりました。

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