クラリネット五重奏曲 (ブラームス)

ヨハネス・ブラームスがその最晩年に手がけた室内楽作品の中でも、とりわけ高く評価されているのがクラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115である。通常の弦楽四重奏にクラリネットという異色の楽器が加わることで、豊かで温かみのある響きが生まれている。この曲は、同時期に作曲されたクラリネット三重奏曲 作品114とともに、ブラームス後期の円熟した境地を示す代表作の一つと位置づけられている。

作曲の背景と初演

この五重奏曲は、1891年の夏に作曲家が避暑地として愛したオーストリアのバート・イシュルで生み出された。ブラームスはこの地での滞在を心ゆくまで楽しみ、珍しく短期間のうちに筆を進めてこの傑作を完成させたという。作品の初演は、同年11月24日、マイニンゲン公の宮廷で非公開で行われた。演奏者には、クラリネット奏者のリヒャルト・ミュールフェルト、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムといった当代一流の音楽家たちが名を連ねた。彼らによる公開初演は12月10日にベルリンで行われ、聴衆から熱狂的な喝采を浴び、その場で繰り返し演奏されるほどの成功を収めた（ただし、直後の公演の評判は異なったようである）。その後、翌1892年1月5日にはウィーンでも初演が行われ、ここではクラリネットをフランツ・シュタイナー、弦楽四重奏をロゼー四重奏団が担当した。1月末にはミュールフェルトとヨアヒム四重奏団によるウィーン公演も実現し、こちらも批評家から無条件の称賛を得る大成功となった。

ブラームス自身は、この五重奏曲の並外れた人気にやや複雑な思いを抱き、三重奏曲の方を好むと語ったとされる。しかし、この五重奏曲はブラームス特有の温かい情感に満ちた秀作として、楽章ごとの内容の濃さと明快な構成が見事に結びついた作品と広く認められている。

楽曲の構成

本作品は以下の4つの楽章から構成される。全曲の演奏時間は概ね36分程度だが、冒頭楽章をゆったり演奏する傾向から、39分前後かかる演奏も少なくない。

1. Allegro （アレグロ） - ロ短調、6/8拍子、ソナタ形式
2. Adagio （アダージョ） - ロ長調～ロ短調～ロ長調、3/4拍子、三部形式
3. Andantino （アンダンティーノ） - ニ長調、4/4拍子、間奏曲風の楽章
4. Con moto （コン・モート） - ロ短調、2/4拍子、変奏曲形式

楽器編成は、クラリネット1本とヴァイオリン2本、ヴィオラ1本、チェロ1本という標準的な弦楽四重奏の組み合わせである。

各楽章の解説

第1楽章 Allegro：冒頭から心に深く染み入るような歌謡的な雰囲気を湛えたソナタ形式の楽章である。最初に第1・2ヴァイオリンから提示される短い動機は、楽曲全体を統一するライトモチーフのような役割を果たす。クラリネットは導入後、14小節目からの力強く感情豊かな第1主題で本格的に登場し、チェロがそれに寄り添うように深い叙情を加える。特徴的なハーモニーと柔らかな旋律を持つ第2主題もクラリネットによって歌われる。展開部では、提示部の要素が三重奏曲には見られない自由さで扱われ、冒頭の動機が繰り返されながら再現部へと繋がる。コーダでは再び冒頭動機とクラリネットによる第1主題が奏でられ、楽章を締めくくる。

第2楽章 Adagio：三部形式による緩徐楽章であり、本作の白眉とも言える。クラリネットが奏でる、飾り気のない、時に夢見るようでありながら苦みも感じさせる旋律は、しばしば真の「愛の歌」と称される。これを弦楽器群が弱音器（コン・ソルディーノ）を用いて優しく支え、包み込む。楽章の中間部にあたるロ短調、ピウ・レントの部分では、クラリネットがアリア風、あるいはレチタティーヴォ風に、時には優雅に、時には悲愴感を帯びた表現で装飾的な音型を連ね、弦楽器のトレモロが響く。この部分はジプシー音楽を思わせる性格を持ち、クラリネットの技巧的なパッセージやラプソディックな奏法によって、極度の緊張感と独特の色彩感が醸し出される。再現部ではクラリネットと第1ヴァイオリンの親密な対話が印象的である。きわめて個性的なこの楽章は、自由な雰囲気のコーダによって閉じられる。

第3楽章 Andantino：この楽章は、23小節の穏やかなアンダンティーノが、急速な中間部であるプレスト（Presto non assai, ma con sentimento）を挟み込む三部形式の構造を持つ。実質的な中心は動きの速いプレスト部分であり、両端のアンダンティーノは前奏と後奏のような役割を担う。流動的な性格を持つこの楽章では、アンダンティーノの主要主題が様々な形で顔を出す。この主題は冒頭、クラリネットによって弱音で提示されるが、プレスト部でも引き続き現れるだけでなく、せわしないスケルツォ風の主題へと変奏される。このような構成は、ブラームス後期のピアノ小品集にも見られる特徴である。

第4楽章 Con moto：主題と5つの変奏から成る変奏曲形式に、コーダが付加された楽章である。美しい主題は弦楽器によって軽やかに歌われ、クラリネットがそれに加わる。第1変奏はチェロが軽快な旋律を担い、クラリネットは対位法的な動きを見せる。第2変奏では中音域の弦によるシンコペーション伴奏が特徴的である。第3変奏ではクラリネットの存在感が増し、技巧的というよりは快活なアルペッジョを奏でる。ロ長調に転じる第4変奏では、中音域の弦による16分音符の刺繍音の上で、クラリネットと第1ヴァイオリンによる愛らしい対話が展開される。短調に戻る最後の第5変奏では、主題のリズムが変化し、楽章冒頭のライトモチーフを歪ませたような音型が対位法的に組み合わされる。コーダでは、表現力豊かな短いカデンツァを経て、再び冒頭のライトモチーフが元の形で現れる。この循環的な構成は、作品全体に統一感と深い余韻をもたらし、大作の終わりを印象づける。

ブラームスのクラリネット五重奏曲は、彼の晩年の心境を映し出すかのような、内省的でありながらも温かい情感に満ちた傑作として、今日でも多くの音楽ファンに愛され続けている。

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