ココナッツ・グローヴ火災

1942年11月28日、第二次世界大戦の戦時下、感謝祭の週末を迎えたアメリカ、ボストンで未曽有の悲劇が発生しました。ボストン有数の人気ナイトクラブ「ココナッツ・グローヴ」で発生した火災により、492人もの尊い命が失われたのです。これはアメリカ史上最悪のナイトクラブ火災であり、建物火災としても1903年のイロコイ劇場火災に次ぐ規模となりました。

繁栄の陰に潜む危険

ココナッツ・グローヴは1927年に禁酒法時代のスピークイージーとして開業し、後にマフィアの支配を経て、火災発生当時はバーニー・ウェランスキーがオーナーを務めていました。ウェランスキーは巧妙なコネクションと非合法な手法を駆使してクラブを経営。飲食店としての正式な営業許可を持たず、建築許可なしで改装を行い、未登録の業者を使うなど、その運営は極めてずさんでした。

クラブは南国リゾートを模した豪華な内装で客を魅了しましたが、壁や天井に使用されていたレザーレットやラタン、カーテンなどの装飾は、見た目の華やかさとは裏腹に、非常に燃えやすい素材でできていました。また、戦時下で冷媒として引火性の高いクロロメタンが使用されていたことも、後に被害を拡大させる一因となります。

火災発生当日、クラブ内には定員を大幅に超える人々が密集しており、まさに危険がすぐそこに迫っている状態でした。

瞬間の閃光、逃げ場なき炎

火災は午後10時15分頃、地下のメロディー・ラウンジで発生したとされています。出火原因は諸説ありますが、電球交換のためにボーイが使用したマッチが近くの可燃性装飾に引火したとする説が有力です。しかし、火災調査報告書では最終的な火元は特定されていません。一部の目撃者は「閃光」のような発火を証言しており、頻繁に装飾が発火していたという常連客の証言もあります。

初期消火の試みはすぐに失敗し、引火性の高い内装を伝って炎は瞬く間に拡大。毒性の強い煙とともに、火の手はわずか数分で建物全体を包み込みました。逃げ惑う人々にとって、このクラブは閉じ込められた罠と化しました。

閉ざされた出口

多くの客は入ってきた時と同じメインエントランスの回転ドアから脱出しようとしましたが、パニック状態の群衆が殺到した結果、ドアは詰まって使用不能となりました。回転ドアが破壊された後も、炎が酸素を求めてその周辺に集中し、脱出を試みる人々を阻みました。

他の出口も同様に機能しませんでした。食い逃げ防止のためにボルトで固定されたサイドドア、板で塞がれた窓、そして内開きの非常ドアは、群衆の圧力で開けることが不可能となりました。消防当局者は、もしこの内開きのドアが外開きであれば、多くの命が救われた可能性を示唆しています。

現場に駆けつけた消防隊員や非番の軍人たちは、決死の救助活動を行いましたが、炎と煙、そして建物の構造が彼らの行く手を阻みました。冬の寒さで消火用水が凍結する困難にも直面しながら、彼らは懸命に生存者を探し、犠牲者の遺体を運び出しました。

悲劇の後に

火災は多くの犠牲者を出しましたが、中には奇跡的に生還した人々もいました。クラブの裏方を知る従業員は比較的生存率が高く、通用口などを利用して脱出しました。特に、複数の著名な音楽家と後に共演することになるベーシストのジャック・レズバーグは生還者の一人です。

また、メロディー・ラウンジにいた人々の一部はキッチンや大型冷蔵庫に逃げ込み、助けを待ちました。沿岸警備隊員のクリフォード・ジョンソンは、自身の安全を顧みず燃え盛る建物に何度も再突入し、重度の火傷を負いながらも生還。彼は当時の記録上、最も広範囲の火傷から回復した人物となりました。

火災調査では、火災直前の安全検査が形骸化していたことや、クラブ運営の違法性が明らかになりました。出火原因の特定には至りませんでしたが、可燃性素材、ずさんな構造、そして適切な避難経路の欠如が被害を拡大させた主な要因とされました。

オーナーのウェランスキーは過失致死罪で有罪判決を受けましたが、服役期間はわずか4年足らずで恩赦により釈放され、その数週間後に亡くなりました。彼の恩赦は当時のマサチューセッツ州知事によるものであり、その背景には政治的なつながりが指摘されています。

改革の契機となった惨事

ココナッツ・グローヴ火災の最大の遺産は、その後の社会に与えた影響です。

この悲劇を受けて、アメリカ全土で公共施設の防火安全基準が劇的に強化されました。内開き扉、可燃性装飾材の使用、非常口の施錠や封鎖が厳しく禁止され、回転ドアの横には必ず外開きドアの設置が義務付けられました。これらの規制は現在の防火基準の基礎となり、多くの命を守ることにつながっています。

また、医療分野にも大きな進歩をもたらしました。火傷を負った多数の患者の治療経験から、火傷面積を正確に評価するランド・ブロウダー図表が開発され、現在も世界中で使用されています。さらに、高温の煙を吸入した患者への輸液療法が確立され、火傷治療における画期的な進歩となりました。従来の痛みを伴う治療法に代わり、より効果的な新しい治療法（ワセリン・ホウ酸軟膏を用いたガーゼ療法）が広まるきっかけにもなりました。

特に注目すべきは、抗生物質であるペニシリンの有効性が大規模に確認されたことです。火傷による感染症予防に絶大な効果を発揮したペニシリンは、この火災の経験を通じて、その後の軍向けの生産体制強化へとつながりました。

加えて、この火災は遺族の悲嘆や生存者の心的外傷（PTSD）に関する初期の精神医学的研究を促し、災害後の心理ケアの重要性が認識される契機となりました。

かつてココナッツ・グローヴがあった場所は現在、コンドミニアムやホテルの一部となっていますが、1993年に設置された記念碑が、この痛ましい出来事と、そこから生まれた防火安全と医療の進歩の歴史を今に伝えています。碑に刻まれた「灰より飛び立つ不死鳥」という言葉は、悲劇を乗り越え、教訓を生かしてきた人々の強い意志を示しています。

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