サビニの女たちの掠奪 (ルーベンス、ロンドン)

『サビニの女たちの掠奪』は、フランドルのバロックを代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスが1635年から1640年頃に制作した油彩画です。この作品は、古代ローマ建国時の伝説を題材としており、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ルーベンスは、この作品の他にも同名の作品を制作しましたが、こちらは未完のまま画家の死後、別の画家によって完成されました。

この絵画の主題は、古代ローマの建国者ロムルスが、国の発展のためにサビニ人の若い女性たちを略奪したという物語です。リウィウス、プルタルコス、オウィディウス、ウェルギリウスといった古代の著述家によって語り継がれてきたこの出来事は、ローマとサビニ人との間の争いの発端となりました。しかし、後にサビニの女性たちが両者の間に入り、戦いを止めたという結末を迎えます。

ルーベンスは、この作品と同時期に『幼児虐殺』も描いており、どちらも罪のない女性や子供が政治的暴力の犠牲となる様子を描いています。これらの作品では、歴史的主題を扱いながらも、女性たちが17世紀当時の服装で描かれている点が特徴的です。ルーベンスが生きた時代は、三十年戦争（ネーデルラントでは八十年戦争）の時代であり、特にルーベンスの居住地であったアントウェルペンは大きな打撃を受けていました。彼は、人々が戦争の苦難と暴力に苦しみながらも、平和の恩恵を受けられない状況を嘆き、自身の作品を通じて、政治的対立が引き起こす無辜の人々の惨状は過去のものではないと訴えかけました。

『サビニの女たちの掠奪』では、ルーベンスは劇場的な場面を創り出しています。古典的な柱や花輪で飾られたアーチを用いて奥行きを出し、人物を前景、中景、後景の3つに分けて配置することで、ドラマチックな空間を作り上げています。前景の人物は鮮やかな色彩で詳細に描かれている一方、中景、後景へといくにつれて色彩が薄くなり、描写も粗くなっていきます。

画面右上には、この略奪を指示するロムルスがシルエットで描かれています。彼は貴賓用の高座を指差し、これが略奪の合図となります。前景には、略奪される女性たちがクローズアップで描かれており、後景では戦う男性たちの姿が描かれています。この戦いは、女性たちを助けようとするサビニの男性たちと、それを阻止しようとするローマ人との戦いであり、略奪の混乱と暴力性を物語っています。

ルーベンスは、この作品において略奪の暴力性を強調しています。色黒で筋骨たくましいローマ人と、色白で無力な女性たちとの対比は、この構図をさらに際立たせています。兵士たちが古代の装いであるのに対し、女性たちが17世紀の服装を身に着けている点も注目すべき点です。このことから、鑑賞者は女性たちをサビニ人ではなく、当時のフランドルの女性たちとして捉えることができます。画面中央の女性は、略奪者の腕に抱えられ、神に祈るように両手を合わせ、涙を流しています。彼女の姿は、この略奪の悲劇を象徴しているかのようです。

また、この作品にはエロティシズムも含まれています。胸を露わにした女性や、スカートを捲り上げられる女性の姿が描かれており、暴力性とエロティシズムが複雑に絡み合っています。

画面左端には、ルーベンスが若い頃にローマで見た『ボルゲーゼの剣闘士』を想起させる兵士が描かれています。また、貴賓席にいるピンクの服を着た女性は、ルーベンスの2番目の妻エレーヌ・フールマンである可能性も指摘されています。

『サビニの女たちの掠奪』は、ルーベンスの卓越した画力と、歴史的主題の中に当時の社会情勢や人間の普遍的な感情を織り込む、彼の芸術観が反映された傑作と言えるでしょう。

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