サル免疫不全ウイルス
サル免疫不全ウイルス（SIV）
定義と分類
サル免疫不全ウイルス、略称SIV（Simian Immunodeficiency Virus）は、サルや類人猿を含む霊長類を自然な宿主とするウイルス群です。これらのウイルスは、感染した動物の免疫システムにおいて中心的な役割を担う免疫細胞に感染し、これを破壊することで、後天的な免疫機能の低下、すなわち免疫不全を引き起こす可能性があります。SIVはウイルスの分類体系において、レトロウイルス科のレンチウイルス亜群に属しています。このグループのウイルスは、エンベロープと呼ばれる膜を持ち、遺伝情報として一本鎖のRNAを持っています。また、宿主細胞内で自身のRNAをDNAに逆転写し、宿主のゲノムに組み込むという特徴があります。SIVと総称されますが、実際には宿主の種類や地域によって、遺伝的に多様な多くの系統が存在することが知られています。
宿主と分布
SIVは主にアフリカ大陸に生息する多様な霊長類に広く分布しています。これまでに、アフリカミドリザル、マンドリル、スーティーマンガベー、チンパンジーなど、様々な種類のサルや類人猿からSIVが分離されています。興味深いことに、アジアに本来生息するマカク属のサルからもSIVが見つかっていますが、これは自然界での感染例ではなく、アメリカの霊長類研究施設などで飼育されていたサルから分離されたものです。これらの事例は、施設内で飼育されていたアフリカ由来のサルとの接触を通じて感染が起きたものと考えられています。
HIVとの関連性
SIVが科学的に最も重要視される点の一つは、ヒト免疫不全ウイルス（HIV）の起源であると考えられていることです。現在の研究では、SIVがサルからヒトへと種を超えて伝播し、その後ヒトに適応する過程でHIVへと進化したと広く信じられています。ヒトのHIVには、世界的に広く流行しているHIV-1と、主に西アフリカで流行しているHIV-2という二つの主要なタイプがありますが、これらはそれぞれ異なるSIVの系統から独立してヒトに伝播したと考えられています。遺伝子配列の比較研究により、HIV-1はチンパンジーから分離されたSIVcpzに、HIV-2はスーティーマンガベーから分離されたSIVsmmにそれぞれ遺伝的に最も近いことが判明しています。このことは、SIVcpzがHIV-1の、SIVsmmがHIV-2の祖先であることを強く示唆しています。HIV-1とHIV-2は、基本的な遺伝子構成は類似していますが、全体的な塩基配列の類似性は約60%と比較的低く、特にHIV-1がvpu遺伝子を持つ一方、HIV-2がvpx遺伝子を持つという明確な違いがあります。これらの遺伝子の違いも、それぞれの起源であるSIVcpzとSIVsmmの間にも見られます。
霊長類における非病原性
ヒトがHIVに感染すると、多くの場合、時間の経過とともに免疫機能が低下し、重篤な日和見感染症などを発症する後天性免疫不全症候群（AIDS）に至ります。しかし、自然宿主である多くの種類の霊長類がSIVに感染しても、通常は病原性を示さず、健康に生活できる点がヒトのHIV感染とは大きく異なります。これは、サルがSIVとの長い共存の歴史の中で、ウイルスによる悪影響を回避するための進化的な適応を獲得したためと考えられています。例えば、スーティーマンガベーでは、SIVsmmに感染していても、血液中に高レベルのウイルスが存在する場合であっても、免疫系の破壊や病気の発症が見られないことが詳細な研究で確認されています。このような適応メカニズムには、ウイルスが細胞に侵入する際に利用する宿主側の分子（コレセプターなど）の機能を制御することなどが含まれると考えられています。
研究の歴史と進化の知見
SIVの研究は、1980年代にヒトでAIDSが認識された後に本格的に始まりました。1983年、アメリカの霊長類研究施設で飼育されていたサルに、ヒトのAIDSに似た免疫不全の症状が報告され、これがSIV発見の契機の一つとなりました。そして1985年には、この免疫不全状態にあったアカゲザルからSIVが単離され、サルにおける免疫不全の原因ウイルスとして特定されました。
SIVの進化や伝播経路に関する研究も進んでいます。かつてはチンパンジーがSIVcpzという独立した系統のSIVの起源であると考えられていましたが、より詳細な遺伝子解析や生態学的な観察から、新たな仮説が提唱されています。この仮説によれば、SIVcpzは、チンパンジーがシロエリマンガベイやグレータースポットノーズドモンキーといった他のサルを捕食した際に、これらのサルが保有していた異なるSIV系統（SIVgsnとSIVrcm）がチンパンジーの体内で組み合わさって誕生した可能性が高いとされています。これは、チンパンジー自身がSIVの起源ではなく、他のサルからSIVを獲得し、それが体内で組換えを起こして新たな系統であるSIVcpzが生まれたことを示唆しています。
SIVの感染が霊長類の間でいつから始まったのかについても研究が進んでおり、2010年には、アフリカ沖のビオコ島に生息するサルから分離されたSIVの解析から、SIVが少なくとも3万2千年以上前からこの島のサルに感染していたことを示唆する証拠が得られました。これは、それまで考えられていたSIVの感染年代（過去数百年間）を大きく遡る発見であり、SIVと霊長類の共存の歴史が非常に長いことを示しています。アフリカのサルが長い時間をかけてSIVに適応し病原性を回避できるようになったように、ヒトがHIV感染に対して同様の自然な適応を獲得するには、同様の長い時間が必要になるのではないかとも推測されています。
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