ジェイコブ・リース

ジェイコブ・リース：社会変革を求めた写真ジャーナリスト

ジェイコブ・リース（Jacob August Riis, 1849年5月3日 - 1914年5月26日）は、デンマーク生まれのアメリカ人ジャーナリスト、社会改革者、そしてドキュメンタリー写真家として知られています。彼は「マックレーカー」と呼ばれる社会問題の告発者の一人であり、20世紀初頭のアメリカにおける都市改革運動に重要な役割を果たしました。リースは、ジャーナリズムを通してスラム街の劣悪な環境を告発し、写真技術を駆使して社会問題に対する人々の意識を高めました。

生い立ちとアメリカへの移住

リースは、デンマークのリーベという小さな町で生まれました。父親は学校教師であり、地元の新聞編集も手掛けていました。リースは幼い頃から英語に興味を持ち、チャールズ・ディケンズの作品に感銘を受けました。しかし、学校生活にはなじめず、大工の徒弟となりました。16歳で恋をしますが、父親に反対され、コペンハーゲンでの修行を強いられます。4年間の修行後、リースは故郷に戻り、恋人に求婚しますが、再び父親に拒絶されます。失意の中、アメリカへの移住を決意します。

1870年、21歳でアメリカに渡ったリースは、当時「金ぴか時代」と呼ばれた急成長を遂げるアメリカ社会と、その影に隠された深刻な貧困問題を目の当たりにします。ニューヨークでは、都市計画を遥かに超える人口増加と移民の流入により、住宅問題が深刻化していました。特にロウアー・イースト・サイドは、劣悪な環境のテネメント（安アパート）が密集し、衛生状態も悪く、犯罪が多発していました。

アメリカでの苦難とジャーナリズムへの道

アメリカに到着したリースは、まずグラスゴーを経てニューヨークに到着。手持ちの40ドルのうち半分をリボルバーの購入に使いました。その後、職を求めてピッツバーグへ。大工や採掘の仕事を経て、フランスの普仏戦争参加に触発され帰国しますが、従軍は叶いませんでした。ニューヨークに戻ったものの無一文になり、路上生活を余儀なくされました。墓石の上で寝たり、拾ったリンゴで飢えをしのぐ日々。ノース川で自殺を図ろうとした夜、一匹の犬に救われ、警察の浮浪者収容施設で一晩を過ごしますが、所持品を盗まれてしまいます。

どん底を経験したリースは、収容施設を出た後、フィラデルフィアへ。デンマーク領事に助けられ、ニューヨーク州西部のジェームズタウンで大工として働きます。経済的に安定し、ジャーナリストを目指しますが、新聞社への就職はうまくいきません。しかし、事実を追求するジャーナリストの仕事は、彼にとって最も価値のあるものだと確信していました。

アイロンのセールスマンとして成功を収めるも、詐欺に遭い、失意の中ニューヨークへ戻ります。その後、ロングアイランドの新聞社で編集者として働き始め、ジャーナリズムのキャリアをスタートさせます。彼は、ニューヨーク・ニュース・アソシエーションで研修生として採用され、その才能を開花させていきます。

警察担当記者としての活動

リースは、週刊紙『ザ・ニュース』の編集者として昇進しますが、新聞社が破産し、故郷から兄と叔母、そして婚約者の死を伝える手紙を受け取りました。彼は、エリザベスにプロポーズの手紙を送り、『ザ・ニュース』紙を買い取りました。その後、政治家から新聞社を買い戻す提案を受け入れ、資金を得てデンマークへ渡り、エリザベスと結婚しました。

ニューヨークに戻ったリースは、ブルックリンの新聞社で編集者として働き、幻灯機を使った広告事業で成功を収めます。その後、『ニューヨーク・トリビューン』紙で警察担当記者として採用され、ロウアー・イースト・サイドのスラム街で、移民や貧困層の人々の生活を目の当たりにします。彼は、テネメントの問題を定期的に報道し、スラム街の劣悪な住環境を改善するための「不良アパート問題委員会」の発足に貢献しました。22年間、警察担当記者を務める中で、彼はスラム街の悲惨な状況を人々に伝えようと決意します。

写真による告発と社会改革

リースは、新聞記事だけではスラムの悲惨さを伝えきれないと考え、写真の力を借りることを決意します。1887年にフラッシュ撮影の技術を知り、友人たちとスラム街の撮影を開始。マグネシウム粉を使った危険なフラッシュ撮影を試み、二度の火災に見舞われるも、スラムの現実を捉えることに成功します。彼の写真は、当時の社会に衝撃を与え、社会改革への機運を高めました。しかし、リース自身は写真家ではなく、ジャーナリストであることを自覚しており、写真はあくまで自身の言葉を裏付ける手段であると考えていました。

リースは、撮影した写真を使って幻灯用のスライドを作成し、教会でスラムの実態に関する講演会を開催。当時の人々は、写真によって、スラムの過酷な現実を目の当たりにしました。彼の講演会は、チャールズ・ヘンリー・パークハーストや『スクリブナーズ・マガジン』の編集者など、影響力のある人々の注目を集めました。彼は、写真と講演を通して社会変革を訴え続けました。

『向こう半分の人々の暮らし』と著作活動

1889年、リースは雑誌記事「向こう半分の人々の暮らし」を発表し、翌年、書籍『向こう半分の人々の暮らし（How the Other Half Lives）』を出版しました。この本は、スラム街の悲惨な状況を詳細に描き出し、社会に大きな衝撃を与えました。ハーフトーン印刷の写真を全面的に取り入れた最初の本であり、当時の社会問題に対する人々の関心を高めました。リースは、地主を非難し、スラムの人々の生活改善を訴えました。

1892年には、続編である『貧民の子供たち（Children of the Poor）』を出版し、スラム街で暮らす子供たちの悲惨な状況を告発しました。1901年には、自伝『あるアメリカ人の成り立ち（The Making of an American）』を出版し、自身の波乱万丈な人生を綴りました。

セオドア・ルーズベルトとの関わりと社会改革への貢献

リースの活動は、セオドア・ルーズベルトに大きな影響を与えました。ルーズベルトは、『向こう半分の人々の暮らし』を読んでリースのもとを訪れ、その後の社会改革を共に進めていきました。ルーズベルトがニューヨーク市警察の公安委員長に任命された際、リースは夜間の犯罪捜査に同行し、警察の怠慢を告発。これにより、スラムの改善が急速に進展しました。警察の浮浪者収容施設は廃止され、マルベリー・ストリートのテネメントは撤去され、公園が建設されました。

リースは、写真を使ってコレラの蔓延を未然に防いだり、マルベリー・ベンド地区の改善にも尽力しました。彼の活動は、1901年のニューヨーク市共同住宅法の改正を促し、都市の衛生環境を改善するきっかけとなりました。リースは、慈善出版委員会に加わり、都市再建運動を促進し、児童福祉の権威として、ルーズベルトが召集したホワイトハウス会議にも出席しました。

晩年と死後

リースは、1899年まで警察担当記者として働いた後も、著作や講演に励み、1912年の大統領選挙では、ルーズベルトを支援しました。妻エリザベスの死後、メアリー・フィリップスと再婚し、マサチューセッツ州の農場に移住。1914年5月26日にその農場で亡くなりました。彼の死後、写真の価値が再評価され、多くの展覧会が開催されました。

評価と遺産

ジェイコブ・リースは、ジャーナリストとしてだけでなく、社会改革者、そしてドキュメンタリー写真家として、後世に大きな影響を与えました。彼の活動は、貧困問題に対する社会の意識を高め、都市の劣悪な環境を改善するための具体的な取り組みを促しました。彼の写真と著作は、今日の社会問題に取り組む人々にとって、重要なインスピレーションとなっています。

リースは、「マックレーカー」と呼ばれるジャーナリストの一人であり、社会問題を告発し、改革を訴えました。彼の活動は、写真ジャーナリズムの発展に貢献し、社会変革の原動力となりました。しかし、彼の描写には、時として偏見があったという指摘もあります。リースは、フランクリン的な勤労倫理観に基づいて、浮浪者を怠惰であると決めつける一面もありましたが、その情熱と行動力は、多くの人々に影響を与えました。

ジェイコブ・リースは、その生涯を通して、社会正義を追求し、弱い立場の人々のために戦い続けました。彼の遺産は、今日においても私たちの心に深く刻まれています。

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