ジークフリート・デーン

ジークフリート・ヴィルヘルム・デーン

ジークフリート・ヴィルヘルム・デーン（Siegfried Wilhelm Dehn, 1799年2月24日生 – 1858年4月12日没）は、19世紀ドイツで活躍した音楽理論家であり、音楽学者です。特に、対位法の指導者としてその名を知られ、「ザムエル・デーン（Samuel Dehn）」という別名でも呼ばれました。

生い立ちと音楽への道

デーンは1799年、ハンブルクのアルトナ地区で銀行家の息子として生まれました。少年時代にはチェロを学び、やがてライプツィヒ大学で法学を修めて外交官の道を志します。しかし、この大学時代にJ.A.ドレープスから音楽の手ほどきを受けたことが、その後の人生を大きく変えるきっかけとなりました。卒業後、ベルリンのスウェーデン大使館に勤務する傍ら、ベルンハルト・クラインに師事して音楽学への関心をさらに深めます。

彼のキャリアが音楽分野へと本格的に転換したのは、1830年に実家の銀行が破綻し、経済的な困難に直面した時です。この出来事を機に、彼は音楽で自活することを決意し、やがて音楽理論家そして音楽教師として高い評価を得る存在となっていきました。

図書館学芸員としての活動

1842年、デーンは著名な作曲家ジャコモ・マイヤベーアの推薦を受け、プロイセン王立図書館の音楽部門学芸員に就任します。この職務において、彼は図書館に所蔵されている音楽資料の整理と拡充に情熱を注ぎました。膨大な楽譜や文献を体系的に分類する作業に献身し、プロイセン全土の図書館から貴重な資料を積極的に収集しました。

彼の尽力により、図書館のコレクションは飛躍的に充実しました。特に、アントン・シントラーやゲオルク・ペルヒャウに関する資料は、デーンによって拡充された重要な収集品です。中でもペルヒャウ旧蔵のコレクションには、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ（J.S.バッハ）やカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ（C.P.E.バッハ）といったバッハ一族の貴重な自筆譜が多数含まれており、音楽史研究において極めて重要な資料として知られています。

編集・校訂の功績

図書館での活動と並行して、デーンは音楽学術の発展にも貢献しました。1842年から1848年にかけては、音楽雑誌『ツェツィーリア（Cäcilia）』の編集者として、学術的な情報発信を主導します。また、1849年にプロイセン王立芸術アカデミーの教授に就任した年には、校訂者グリーペンケルルの死去を受けて、ピーアズ出版社から刊行されるJ.S.バッハの器楽曲全集の校訂に協力しました。特に、バッハの最も有名な作品の一つである《ブランデンブルク協奏曲》の、歴史的な意味を持つ初版の出版責任者として大きな役割を果たしています。さらに、ルネサンス音楽の巨匠オルランドゥス・ラッススのモテットについても、その大部分の校訂を手掛けるなど、幅広い時代の楽曲の学術的な校訂に貢献しました。

バッハ協会設立への貢献

1850年には、イグナツ・モシェレスやルイ・シュポーアといった同時代の主要な音楽家たちと共に、バッハ協会の設立に参画しました。この団体は、J.S.バッハの作品研究と普及を目的としており、その活動は現在「新バッハ協会」として引き継がれています。デーンのこの取り組みは、その後のバッハ研究の隆盛に繋がる重要な一歩となりました。

優れた音楽教師として

デーンは、音楽学者や編集者としての功績に加え、対位法や作曲法の教師としても並外れた才能を発揮しました。彼の指導は非常に人気が高く、多くの将来有望な音楽家たちが彼の門を叩きました。彼のもとで学んだ著名な門弟には、ミハイル・グリンカ、アントン・ルビンシュタイン、ニコライ・ルビンシュタインといった国際的に名の知られた作曲家・演奏家がいます。その他にも、デーンの薫陶を受けた多くの音楽家たちが、その後の音楽界で活躍しました。

主な門弟（一部）：

アルベルト・ベッカー （1834-1899年） 作曲家
マルティン・ブルームナー （1827-1901年） 作曲家
ペーター・コルネリウス （1824-1874年） 作曲家、詩人
イマヌエル・ファイスト （1823-1894年） 作曲家、合唱指揮者
ミハイル・グリンカ （1804-1857年） 作曲家
カール・アウグスト・ハウプト （1810-1891年） 作曲家
フリードリヒ・キール （1821-1885年） 作曲家
テオドール・クラック （1818-1882年） ピアニスト、作曲家
カール・アドルフ・ローレンツ （1837-1923年） 指揮者、作曲家
アントン・ルビンシュタイン （1829-1894年） ピアニスト、作曲家
ニコライ・ルビンシュタイン （1835-1881年） ピアニスト、作曲家
ルイ・シュロットマン （1826-1905年） 作曲家

主な著作と編纂楽譜

デーンは自身の音楽理論をまとめた著作や、重要な楽譜の編纂・校訂譜を出版しました。

著作：

『理論的・実践的和声法教本と数字つき通奏低音の演奏法』（Theoretisch-praktische Harmonielehre mit angefügten Generalbaßbeispielen, 1840年）
『バッハのフーガとボノンチーニの声楽フーガの分析』（Analyse dreier Fugen von S. Bach und einer Vocalfuge von A. M. Bononcini's, 1858年）
『対位法・カノン・フーガの教則本』（Lehre vom Contrapunkt, Canon und Fuge, 1859年）
Orlandus Lassus Psalmi VII poenitentiales（出版年不明）
『16世紀と17世紀の声楽ポリフォニー 第12巻』（12 Hefte mehrstimmiger Gesänge des 16. und 17. Jahrhunderts, 出版年不明）

編纂楽譜（一部）：

J.S.バッハ：カンタータ第211番「コーヒー・カンタータ」スコア初版（ca. 1830年）
* J.S.バッハ：ヴァイオリン協奏曲第2番（BWV 1042）スコア初版（ca. 1875年、自身は1858年没のため没後の出版）

ジークフリート・ヴィルヘルム・デーンは、音楽学者、編集者、そして教育者として、19世紀ドイツの音楽界に多大な貢献をしました。特に、貴重な音楽資料の収集と研究、そして多くの優れた音楽家の育成は、今日の音楽史研究や演奏実践においても、その影響力を保ち続けています。

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