スティックニー (クレーター)

スティックニー（Stickney）

火星の衛星フォボスに存在する最も大きなクレーターであり、フォボスの表面における最も顕著な地形の一つです。その直径は約9キロメートルに達し、フォボス自体の直径が約22キロメートルであることを考えると、衛星表面の相当な割合をこの巨大なクレーターが占めていることになります。火星の表面から観測した場合、フォボスは太陽面を通過するほど大きく見えるため、その表面にあるスティックニーは、条件が整えば肉眼でも確認できるほどの大きさを持つと言われています。

スティックニーのクレーター壁面には線状の模様が見られますが、これは過去に発生した大規模な地すべりによって形成されたと考えられています。

スティックニー内部には、後の時代の天体衝突によって形成されたとみられる、直径約2キロメートルのより小さなクレーターが存在します。このクレーターは2006年、スウィフトの小説『ガリバー旅行記』に登場する人物にちなんで「リムトク（Limtoc）」と命名されました。

スティックニーの周辺からは、クレーターを中心として放射状に伸びる溝状の地形や、直線的に連なる小さなクレーター群（クレーターチェーン）が見られます。かつて、この放射状の構造はスティックニーを形成した巨大な衝突が、フォボス本体をほとんど破壊する寸前であったことを示す証拠として解釈され、フォボスの「死にかけの衛星」説の根拠の一つとされました。しかし、近年欧州宇宙機関の火星探査機マーズ・エクスプレスが行った詳細な調査により、これらの溝やクレーターチェーンは、必ずしもスティックニーの形成に直接関連するものではない可能性が示されました。代わりに、火星や他の天体への衝突によって飛び散った破片がフォボス表面に落下し、偶然スティックニーの近くにこのような地形を形成したという見方が有力視されるようになりました。また、フォボスが火星の強い潮汐力の影響を受けていることから、クレーターチェーンなどの線状構造がこの潮汐力によって変形した結果であるという理論モデルも提唱されています。さらに、2018年11月には、数値シミュレーションに基づいた新たな研究結果が発表され、スティックニーは比較的大きな小惑星の衝突によって形成され、その際に噴出した大量の巨石がフォボス表面を跳ねたり転がったりした結果、放射状の溝状地形が多数形成されたとする結論が示されました。

このクレーターの名前は、1877年にフォボスを発見したアメリカの天文学者アサフ・ホール（Asaph Hall）の妻、アンジェリン・スティックニー（Angeline Stickney）に由来しています。アサフ・ホールは後に、自身の衛星探査が困難に直面した際、妻アンジェリンの励ましがなければ探査を諦めていただろうと記しており、その功績に敬意を表して命名されました。名称は、1971年に火星探査を行ったアメリカの宇宙機マリナー9号が撮影した高解像度画像に基づいて検討され、1973年に国際天文学連合（IAU）によって正式に承認されました。

もう一度検索