ステファン・アスケナーゼ

ステファン・アスケナーゼ（Stefan Askenase）は、1896年にポーランド（当時オーストリア＝ハンガリー帝国領）のレンベルク（現在のウクライナ・リヴィウ）に生を受けたユダヤ系のピアニストです。1985年に西ドイツのボンでその生涯を終えました。演奏家として国際的に活躍する傍ら、後進の指導にも情熱を注ぎ、マルタ・アルゲリッチや内田光子といった世界的名手を輩出した教育者としても高く評価されています。

生い立ちと初期の音楽教育

音楽に恵まれた環境で育ったアスケナーゼは、5歳からピアノ教師であった母から手ほどきを受け始めました。母はフレデリック・ショパンの弟子カロル・ミクリに師事した人物でした。7歳からは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー・モーツァルトの門弟クサヴェラ・ザハリャシェヴィチのもとで研鑽を積み、その後はレンベルクのルドヴィク・マレク音楽院の教授兼院長、テオドール・ポラックに師事しました。さらなる高みを目指し、1913年にウィーンへ移り住み、1914年から1915年にかけて、フランツ・リストの直弟子にあたる高名なエミール・フォン・ザウアーに師事し、その音楽的基礎を盤石なものとしました。

国際的なキャリアの確立

第一次世界大戦に軍務に就いた後、アスケナーゼは演奏家としての道を本格的に歩み始めます。1919年にウィーンでのデビューを果たし、翌1920年にはワルシャワの国立フィルハーモニー管弦楽団との共演で、シューマン、ブラームス、ショパンのピアノ協奏曲を披露し、鮮烈なデビューを飾りました。この時の演奏は高く評価され、批評家フランツィシェク・ブジェジィンスキからは「完璧な技巧、確かな記憶力、驚くべき音色感覚、華麗な打鍵、そして何よりも抜きん出た才能と心揺さぶる解釈。これら全てが、この若きピアニストを一気に往年のヴィルトゥオーゾたちと並び立つ存在へと押し上げた」と絶賛され、「将来が極めて有望である」と評されました。

ウィーンとワルシャワでの成功を足がかりに、彼はオーストリア、ドイツ、フランスなど各地で演奏旅行を行い、その名声を高めていきました。1922年から1925年にかけては、エジプトのカイロ音楽院で教壇に立ち、教育者としてのキャリアもスタートさせます。1927年からはベルギーのブリュッセルに移住し、ブリュッセル王立音楽院の教授として招聘され、長年にわたり後進の指導にあたることになります。

戦後の活動と教育者としての功績

第二次世界大戦終結後も、アスケナーゼは1967年までブリュッセル王立音楽院での教育活動を続けました。教育と並行して、彼はヨーロッパ各地はもとより、北米やアフリカなど世界中を精力的に巡り、演奏活動を展開しました。1965年には芸術音楽協会を設立し、ライン川沿いのローラントゼックにあった古い駅舎を改装して、ピエール・フルニエ（チェロ奏者）やヘンリク・シェリング（ヴァイオリニスト）、サルバドール・ダリ（画家）といった様々な分野の芸術家たちが交流し、創作活動を行うためのスタジオとして提供しました。また、ドイツのケルンやボンでは、夏期に開催されるピアニスト向けのマスタークラスで指導を行い、多くの若手音楽家を育成しました。教育者としての才能は広く認められ、特にマルタ・アルゲリッチや内田光子といった、後に世界の舞台で活躍する巨匠たちが彼の薫陶を受けたことは特筆されます。

演奏活動と教育活動に加え、アスケナーゼはショパン作品の普及にも尽力しました。1955年から1960年まで、ワルシャワで開催された権威あるショパン国際ピアノコンクールの審査員を務め、若き才能の発掘と育成に貢献しました。1981年には85歳の誕生日を記念し、ヨーロッパ各地で85回の記念演奏会を行うという偉業を成し遂げ、高齢でありながら衰えぬ情熱と演奏能力を示しました。

レパートリーと評価

ステファン・アスケナーゼは、バロック時代から近現代に至るまで幅広いレパートリーを持っていましたが、特にドメニコ・スカルラッティ、J.S.バッハ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった古典派から、シューベルト、シューマン、ブラームスといったロマン派、そしてアルベニスや、とりわけフレデリック・ショパンの作品に対する解釈で高い評価を得ています。彼の演奏は、洗練された技巧、深く情感豊かな表現、そして明晰な音楽構造の把握が特徴とされ、特にショパン演奏においては、その詩情豊かさと格調高さが多くの聴衆を魅了しました。教育者としても、弟子たちの個性を尊重し、それぞれの才能を開花させる指導法で知られています。

1985年、89歳でその波乱に満ちた生涯を閉じましたが、演奏家そして教育者として、クラシック音楽界に多大な貢献を果たした人物として、その功績は今なお語り継がれています。

もう一度検索