セルゲイ・レメシェフ

セルゲイ・ヤコヴレヴィチ・レメシェフ（1902年または1903年生まれ、1977年没）は、20世紀ソビエト連邦を代表する卓越したリリック・テノール歌手です。ロシアの農村に生まれた彼は、当初靴職人を目指しましたが、声楽の才能を開花させ、音楽の道へと進みました。

音楽教育とキャリアの始まり

若い頃、レメシェフは靴作りの修業を積む一方で、声楽の訓練を受け、その基礎を築きました。やがてモスクワ音楽院で本格的な学びを深め、1924年にはコンスタンチン・スタニスラフスキーのオペラ・スタジオで舞台経験を積み始めます。その後、エカテリンブルク、ハルビン、トビリシといった都市の劇場で歌唱力を磨き、多様な役柄に挑戦しました。

ボリショイ劇場での成功と特徴

彼のキャリアにおける大きな転機は、1931年にボリショイ劇場に招かれたことです。ここでソリストとしてデビューしたレメシェフは、瞬く間にその地位を確立しました。彼の歌声は「柔らかく美しい」と称賛され、加えて豊かな表現力、明確な言葉の発音、そして特に困難とされるピアニッシモの技術は卓抜していました。彼は単に歌うだけでなく、それぞれの役柄の心理を深く掘り下げ、情熱的な演技をもって観客を魅了しました。1930年代から1940年代初頭にかけて、彼は絶大な人気を博し、時代の寵児となりました。
オペラの舞台に加えて、コンサートでの活動も精力的に行い、特にロシア民謡の歌唱で聴衆を沸かせました。1938年には、チャイコフスキーの全100曲の歌曲を5夜にわたるコンサートで歌い上げるという偉業を達成しています。ラジオ放送を通じてロシア民謡が全国に流れることで、彼の国民的な歌手としての名声は不動のものとなりました。

健康問題との闘い

第二次世界大戦（独ソ戦）の勃発は、レメシェフの健康に深刻な影響を及ぼしました。避難生活中に罹患した悪性の感冒が原因で、彼は二度の肺炎と胸膜炎、さらには右肺の結核を併発しました。このため、人工気胸という治療を受け、片方の肺を意図的に虚脱させることになります。医師から歌唱を禁じられながらも、レメシェフは決して諦めませんでした。残された機能で歌うために、彼は自らの歌唱テクニックをより意識的に、緻密に再構築しました。驚くべきことに、1942年から1948年にかけて、片方の肺が人工的に虚脱した状態でありながら歌い続け、録音活動も行いました。この困難な時期に、『ラクメ』『雪娘』『真珠採り』といったオペラの全曲や、『セビリアの理髪師』『リゴレット』からのアリアなどを録音しています。

レパートリーと伝説の役

レメシェフのレパートリーの中心はロシア・オペラでしたが、フランス・オペラも多く手掛けました。一方、イタリア・オペラやドイツ・オペラを歌う機会は比較的少なかったようです。彼の歌唱は、ほとんどがロシア語で行われました。数多くの舞台で歌ったにもかかわらず、全曲録音は少なく、『リゴレット』の公爵や『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵といった役は、抜粋での録音が多く残されています。

特にレメシェフの代名詞ともいえる役が、チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』に登場する詩人、レンスキーです。彼はこの役を心から愛し、1927年以降、実に500回以上も舞台で演じました。最後にレンスキーを歌ったのは、晩年、既に3度の心臓発作に見舞われ、片方の肺を失っていた70歳の誕生日の公演でした。これは、彼のこの役への深い思い入れと、困難にも屈しない芸術家魂を示すエピソードとして語り継がれています。
1947年にはベルリン国立歌劇場での演奏ツアーも成功させ、長年にわたりイワン・コズロフスキーと共にボリショイ劇場を代表する二大テノールとして君臨しました。

セルゲイ・レメシェフは、その天賦の才能と、幾多の困難を乗り越えた不屈の精神によって、ソビエト声楽史に燦然と輝く偉大な芸術家として記憶されています。

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