テフヌト

テフヌト（Tefnut）は、古代エジプト神話における重要な神格であり、主に「湿気」を司る女神として信仰されていました。古代エジプトの宗教的な中心地の一つであるヘリオポリスで体系化された、宇宙の創造に関わる主要な九柱の神々、通称「ヘリオポリス九柱神」の一員に数えられます。テフヌトという名称は、テフヌウト、テフェネト、テフヌートといった多様な表記があり、古代ギリシア語ではトフェニスと呼ばれました。

神々の系譜

テフヌトは、世界の始まりにおいて万物を創造したとされる原初の神、アトゥムによって生み出された存在です。神話伝承によれば、アトゥムが自らの力、具体的には自らの行為によって最初に誕生させた二柱の神のうちの一方とされています。後の時代にアトゥムが太陽神ラーと習合されたことにより、テフヌトは「ラーの娘」として語られることも一般的となりました。彼女と共に最初に生まれたもう一柱の神は、兄であり、後に彼女の配偶神となる大気の神シューです。このシューとテフヌトの結合から、大地を象徴する神ゲブと、天空を象徴する女神ヌトが生まれました。このように、テフヌトはヘリオポリス九柱神の中でも初期の世代に属し、世界の空間（シューとテフヌト）と具体的な構成要素である天と地（ゲブとヌト）を創造する上で極めて重要な役割を果たしました。

その姿と象徴

テフヌトは、神話芸術や碑文において、しばしば力強い雌ライオンそのものの姿、あるいはライオンの頭部を持つ女性神として描かれました。このライオンの姿は、彼女が持つ荒々しさや力強さ、さらには太陽の熱や破壊的な力といった側面を象徴していると考えられています。湿気の女神としての役割は、生命を育むナイル川の氾濫水や、植物の生育に不可欠な露と関連が深く、豊穣の象徴ともなり得ますが、同時に彼女のライオンの姿は、乾燥や灼熱、あるいは怒りといった破壊的な側面も示唆しています。

シューとの協調

テフヌトに関する神話伝承のほとんどは、彼女が夫である大気の神シューと共にある姿を描いています。テフヌトとシューは、アトゥムから最初に生まれた対偶神として、常に一体となって世界の秩序維持に努めました。彼らは、大地と天空を引き離して宇宙空間を作り出し、シューが天空を支える役割を担う中で、テフヌトはその傍らで夫を助け、世界の安定と調和のために協力しました。彼らはまるで一体であるかのように機能し、湿気（テフヌト）と大気（シュー）という生命に不可欠な要素を司ることで、宇宙のバランスを保つのです。このような役割のため、テフヌト単独での独立した物語は非常に少なく、彼女の存在はシューとの関係性の中で語られることがほとんどです。

家出の挿話

テフヌトに関する数少ない例外的な物語の一つに、彼女がシューと結ばれる以前に引き起こしたとされる「家出」のエピソードがあります。この神話は、テフヌトが持つ気まぐれで独立した一面や、太陽神ラーとの親子関係を示す重要な物語です。物語によれば、ある時、王宮での生活に退屈を感じていたテフヌトは、父である太陽神ラーに何も告げることなく、遥か南方に位置するヌビア砂漠へと姿を消してしまいます。そこで彼女は獰猛な雌ライオンに変身し、荒涼とした地を思うままに駆け巡り、時には周囲に破壊をもたらしたと伝えられています。

娘を失った父ラーは深く悲しみ、テフヌトを故郷エジプトへ連れ戻すことを決意します。この困難な任務を果たすため、ラーは自身の息子である大気の神シューと、あらゆる知識と知恵を持つ神トートに協力を依頼しました。シューとトートは、テフヌトを探し出し、粘り強く彼女を説得しました。彼らは彼女の怒りや荒々しさをなだめ、エジプトへ帰ることの重要性を説き続けました。二神の尽力と説得により、ついにテフヌトは故郷への帰還を決意します。彼女の帰還は神々や人々に大きな喜びをもたらし、盛大に祝われたとされています。この出来事の後、彼女はシューと正式に結ばれたと考えられています。

他神との関連

テフヌトは、その特定の属性や姿から、他の著名なエジプトの女神たちと同一視されることがあります。特に、彼女が太陽神ラーの娘であること、そして勇猛な雌ライオンの姿を持つという点は、他の神格との共通項となりました。例えば、通常は猫の姿で表されることが多いものの、ライオンの側面も持つ癒やしと家庭の女神バステト。また、太陽神ラーの怒りの側面を具現化し、破壊的な力を持つ恐ろしい雌ライオンの女神セクメトは、テフヌトと特に強く結びつけられました。さらに、セクメトと関連が深い、愛、美、音楽、豊穣を司る女神ハトホルとも同一視されることがあります。これは、エジプト神話における神々の概念が流動的であり、特定の属性を持つ神が、文脈によって異なる神格と重ね合わせられたり、同一視されたりする性質を示しています。

関係の深い神々

テフヌトの神話を理解する上で重要な関連神は以下の通りです。

シュー：テフヌトの兄であり配偶神。大気の神としてテフヌトと共に世界の空間と秩序を支える。
ゲブ：テフヌトとシューの息子。大地を司る神。
ヌト：テフヌトとシューの娘。天空を司る女神。
アトゥム：テフヌトの父とされる、世界の根源たる創造神。

テフヌトは、エジプト神話において、創造の初期段階に関わり、湿気と大気を司るシューと共に世界の安定を維持する役割を担った、不可欠な女神の一柱です。

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