ハトホル

古代エジプト神話において、ハトホル（Hathor）は愛と美を象徴する女神として特に広く知られています。その名前はハトルやフゥト・ホルとも表記され、時代や地域によって様々な側面を持つ重要な存在でした。

名前とその由来

ハトホルという名は、「ホルス神の館（家）」を意味すると解釈されています。「ホル」が天空神ホルスを指すことから、ハトホルはホルスの母、あるいは特定のホルス神（例えばエドフのホルス）の妻として認識されるようになったと考えられています。この名前は、彼女とホルス神族との深いつながりを示しています。

外見

ハトホルの姿は、主に二つの形で表されました。一つは、母性を象徴する聖なる動物である牝牛そのものの姿です。もう一つは、人間の女性の姿で描かれることが多いですが、その場合も、牛の角を持つか、牛の耳を持つという特徴が見られます。特に、牛の角の間には太陽の円盤を載せた姿が典型的であり、これは彼女が太陽神ラーと関係が深いこと、あるいは天空の女神としての性質を持つことを示唆しています。

家族関係

太陽神ラーを父に持つハトホルは、神々の世界で複雑な家族関係を築きました。父ラー自身や、天空神ホルス（小ホルス）、鰐の神セベク、ミイラ作りの神アヌビスなどを配偶神として持ちました。これらの関係から、彼女は多くの重要な神々を子としています。父ラーとの間にはホルス（大ホルス）を、小ホルスとの間には音楽の神イヒを、セベクとの間には月の神コンスを、そしてアヌビスとの間には戦いの神ウプウアウトをもうけたとされています。また、これらの他にも、多くの神がハトホルの夫や子と見なされることがありました。

神話と役割

ハトホルは様々な神話に登場し、多様な役割を担いました。例えば、セトとホルスが王位を巡って争った神話において、傷ついたホルスを癒したと伝えられています。このエピソードから、彼女は治療や回復を司る神としての側面を持つようになりました。また、死後の世界においても重要な役割を担い、冥界へと旅立つ魂を迎え入れ、導く存在としても信仰されました。

多様な性格と信仰

ハトホルは、単なる愛と美の女神にとどまらず、非常に多岐にわたる性格を持っていました。宇宙そのものを表す天の牝牛として世界創世に関わる側面、ナイル川の氾濫をもたらす雨を司る側面、鉱山の守護神としての側面、そしてファラオに神聖な乳を与えることでその王権を正当化する役割を担う聖なる牝牛としての側面があります。さらに、人間の出産を見守り、妊婦を守護する女神としても崇敬されました。

特に、オシリスとイシスを巡る神話が広まり、オシリス信仰が主流となるにつれて、ハトホルは死者を養う慈愛深い女神としての性格を強めました。冥界に到達した魂に対して、パンや水（あるいは乳）、そしてイチジクから作られた食物を与える役割を持ち、「エジプトイチジクの木の貴婦人」や「南方のイチジクの女主人」といった別名でも呼ばれました。ファラオ、特にハトシェプストやクレオパトラといった女性統治者からも篤い信仰を集めました。

ハトホル信仰は、ナイル川沿いのデンデラを中心に栄えましたが、サイス、ヘルモポリス、ヘリオポリスなどエジプト国内の他の都市にも広がり、さらに南方のヌビア、紅海沿岸のプント、シナイ半島の鉱山地帯といったエジプト国外にも及びました。

信仰の広がりと習合

時代が下ると、ハトホルへの信仰は、同じく多産と母性を司るイシスへの信仰と結びつきながら、地中海世界へと広がり、遠くローマ帝国にまで達しました。また、他の文化圏の神々と同一視されることもありました。ギリシア神話においては、愛と美の女神であるアプロディーテーと同一視されました。

古代エジプト国内でも、ハトホルは他の女神と習合しました。ホルスの母であり、ファラオの守護者、そして豊穣の女神といった側面を持つことから、イシスと同一視されることが多くありました。また、人間を滅ぼしかねないほどの激しい怒りを司る殺戮の女神セクメトは、怒りに満ちたハトホルの姿と見なされることがありました。これは、太陽神ラーの怒りから生まれたセクメトが、慈愛深いハトホルと対極にあるようでいて、実は同じ神の異なる側面であるという考え方に基づいています。

ハトホルは、その名前の由来が示すようにホルス神族と深く関わりながらも、太陽神の娘として、また多産や愛、美、音楽、舞踊、歓楽、そして死後の世界に至るまで、非常に幅広い領域を司る女神でした。古代エジプトの人々にとって、彼女は生命のあらゆる側面に関わる、最も重要で親しみ深い神々の一柱であったと言えるでしょう。その多様な側面と広範な信仰は、古代エジプト社会におけるハトホルの存在感の大きさを物語っています。

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