ドゥムカ (チャイコフスキー)

チャイコフスキー：ピアノ曲『ドゥムカ』作品59

ピョートル・チャイコフスキーが1886年に作曲したピアノ曲に、『ドゥムカ』（ロシアの農村風景）作品59があります。この作品は、スラヴ世界に伝わる伝統的な音楽形式「ドゥムカ」を題材とし、作曲者の数少ないピアノ独奏作品の中でも特に重要な位置を占める一曲です。

「ドゥムカ」という形式について

「ドゥムカ」（Dumka）とは、もともと18世紀のポーランド叙事詩に由来する民謡形式が、やがて東欧からスラヴ世界の各地に広まったものです。しばしば「哀歌」と訳され、音楽においては、憂鬱で内省的な楽想と、一転して活気に満ちた明るく快活な楽想が劇的に交替するという独特な対比を特徴とします。アントニン・ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番『ドゥムキー』なども、同じ形式を用いた有名な例として挙げられます。

作曲の背景と副題

本作は、チャイコフスキーが1885年にモスクワ近郊のクリンに近いマイドノヴォに居を構え、そこで作曲活動を行っていた時期に生まれました。フランスの出版社フェリクス・マッカーからの委嘱を受けて、1886年2月に完成されました。「ロシアの農村風景」（Scène rustique russe）という副題が付けられていますが、これは特定の風景を描写したり、具体的な物語を語ったりするような筋書きに基づいた曲ではありません。あくまでピアノのためのコンサートピースとして、ドゥムカ形式の音楽的特性を探求し、その魅力を表現することに主眼が置かれています。

出版と献呈、そして初演

楽譜は1886年にロシアのユルゲンソン社から出版されました。本作は、当時パリ音楽院で教鞭を執っていた高名なピアニスト、アントワーヌ・マルモンテルに献呈されています。マルモンテルは自身も優れたピアニストとして知られ、この作品を高く評価しました。彼は作曲者に宛てて「あなたの農村風景は美しい」（votre scène rustique est ravissante）と称賛の言葉を送り、献呈に応えました。作品の初演は、出版からやや遅れた1893年12月、ロシアのピアニスト、フェリックス・ブルーメンフェルトの演奏によって行われました。

チャイコフスキーのピアノ作品における位置づけ

『ドゥムカ』作品59は、チャイコフスキーが作曲した数少ないピアノ独奏曲の中では、2曲のピアノソナタ（第1番 作品37a、第2番 作品80）に次ぐ規模を持つ作品です。演奏には高度な技術と表現力が求められるコンサートピースとして作曲され、同ジャンルにおける作曲者の代表的な成功作の一つと見なされています。全曲の演奏時間は約8分半から9分半程度です。

楽曲構成

作品はハ短調、4分の4拍子で書かれており、ドゥムカ形式の特徴である対比的な楽想が展開されます。

曲は冒頭、ハ短調による緩やかで憂鬱な主題から始まります。これはロシアの民謡バラードを思わせるような、深く歌い込まれる旋律です。
この主題は中声部で繰り返されつつ、ピアノの広い音域を使った複雑な伴奏音型が絡みつき、音楽に厚みを加えていきます。一度静けさを取り戻した後、「コン・アニマ」（精神を込めて、生き生きと）の指示が与えられ、楽想は一変します。
変ホ長調に転じ、明るくリズミカルな新しい主題が登場します。この部分は、副題にある「ロシアの農村風景」の中でも、特に活気ある祝祭や踊りを連想させるような楽しさに満ちています。
この明るい主題は華やかに展開し、さらに装飾的な楽想を導き出します。快活なリズムはしばらく続きますが、やがて「ポコ・メノ・モッソ」（少し遅く）となり、再びハ短調へと戻ります。
ハ短調の旋律は、遠くから響く教会の鐘の音を思わせるような静かで瞑想的な雰囲気を持っています。この後に、高度な技巧を要求される華麗なカデンツァが挿入され、演奏者の腕の見せ場となります。
カデンツァが終わると、「モデラート・コン・フォーコ」（適度な速さで情熱的に）となり、再び活気を取り戻します。ここでは、中間部で登場した明るい主題が様々な形で変奏され、音楽は大きく盛り上がっていきます。
その後、テンポは「アンダンテ」（歩くような速さ）、「メノ・モッソ」（より遅く）、「アダージョ」（ゆっくりと）と変化しながら、クライマックスを形成し、次第に静けさへと向かいます。
最終部では、再び冒頭のテンポに戻り、最初の緩徐主題が「カンタービレ」（歌うように）と指示されて静かに再現されます。瞑想的な雰囲気で曲が閉じようとするかのように見えますが、その終わりでハ短調の主和音が力強く打ち鳴らされ、作品は劇的に幕を下ろします。

結び

『ドゥムカ』作品59は、チャイコフスキーが探求したピアノ音楽の可能性を示すだけでなく、「ドゥムカ」というスラヴ的な形式の持つ劇的な対比とチャイコフスキーらしい豊かな抒情性を巧みに融合させた傑作です。技術的な難しさも伴いますが、その美しい旋律と構成の面白さから、今日でも多くのピアニストによって演奏され、聴衆に愛されている人気作品です。

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