ドナルド・クラム

ドナルド・ジェームズ・クラム（Donald James Cram, 1919年4月22日 - 2001年6月17日）は、20世紀後半のアメリカ合衆国を代表する有機化学者の一人です。彼は、分子が互いを認識し、選択的に結合する「ホスト・ゲスト化学」や、複数の分子が弱い相互作用によって集まってできる「超分子」の研究を開拓しました。特に、自然界の分子が見せる高度な機能、例えば酵素が特定の物質だけを選んで反応を触媒する能力などを人工的に模倣することを目指し、機能を持つ三次元的な分子構造を設計・合成した功績は広く認められています。この業績により、1987年にはチャールズ・ペダーセン、ジャン＝マリー・レーンと共にノーベル化学賞を受賞しました。

クラムはバーモント州チェスターで生を受け、キャリアの大半をカリフォルニア州で過ごしました。学生時代はフロリダ州のローリンズ大学とネブラスカ州のネブラスカ大学リンカーン校で学びました。その後、ハーバード大学に進学し、1947年に有機化学の分野で博士号を取得しています。同年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校（UCLA）に着任し、教育と研究に従事しました。UCLAでは1956年に教授に昇任し、長年にわたり化学科の中心的な人物として活躍しました。

彼の研究の中心は、チャールズ・ペダーセンによるクラウンエーテルの発見に触発された超分子化学にありました。ペダーセンが二次元的な分子でイオンや特定の金属原子を選択的に捉える仕組みを示したのに対し、クラムはそのアイデアをさらに進展させ、分子が特定の相手を三次元的に包み込むことで認識・結合する、より複雑なホスト分子（例えばスフィランドなど）を合成しました。これは、まるで「分子の鍵と鍵穴」のような関係を人工的に作り出す試みであり、分子がどのように特定の相手を選び取るのかという根本的な問いに化学で応えるものでした。これらの超分子システムは、特定の分子だけを取り込んだり、化学反応を制御したりする機能を持つため、人工酵素などの応用研究へと繋がっていきました。

超分子化学と並行して、クラムは有機分子の立体化学、特に化学反応において生成物の立体異性を制御する研究でも重要な貢献をしました。彼は、カルボニル化合物への求核攻撃における立体選択性を予測するための経験則である「非対称性の誘導に関するクラムの規則」を提唱しました。この規則は後に「クラム則」として知られるようになり、多くの有機合成化学者にとって、反応の立体選択性を理解し、望む立体異性体を作り分けるための基本的なツールの一つとなりました。

クラムは単に傑出した研究者であっただけでなく、情熱的な教育者としても知られていました。生涯を通じて、約8000人もの学部生と200人を超える大学院生を指導しました。彼の講義は非常に人気があり、時にはギターを演奏したりフォークソングを歌ったりしながら、学生たちの関心を引く工夫を凝らしました。彼の人間味あふれる一面を示す逸話として、「研究は、まず信仰と漠然としたアイデア、そして少しばかり大胆な実験から始まる。否定的な結果と肯定的な結果のやり取りが、最終的に研究を進める。そして、研究が終わる頃になって初めて、どう始め、どう進めるべきだったのかがわかるものだ」という自己認識を示す言葉が残されています。また、彼は有機化学の標準的な教科書を執筆し、教育者としての影響力をさらに広げました。

その輝かしい業績は多くの学術賞によって称えられました。

1974年 アーサー・C・コープ賞
1975年 センテナリー賞
1985年 ロジャー・アダムス賞、ウィラード・ギブズ賞
1987年 ノーベル化学賞
1989年 グレン・T・シーボーグ・メダル
1992年 米国科学アカデミー賞化学部門
* 1993年 アメリカ国家科学賞

ドナルド・J・クラムは、超分子化学と立体化学の分野における先駆的な研究、そして教育者としての献身を通じて、現代化学に計り知れない影響を与えました。彼の研究は、分子レベルでの精密な設計と機能実現の可能性を示し、その後の化学の発展に大きな道筋をつけました。

もう一度検索