ニカの乱

ニカの乱：ビザンツ帝国の転換点となった市民の反乱

ニカの乱は、532年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで発生した、皇帝ユスティニアヌス1世に対する大規模な反乱です。「ニカ」とはギリシャ語で「勝利」を意味し、反乱を起こした市民の鬨の声でした。この暴動は1週間に渡り、都市の歴史上最も激しいものとして記録されています。コンスタンティノープルのほぼ半分が焼失または破壊され、数万人が命を落としました。

背景：戦車競走と市民の政治参加

古代ギリシャ・ローマ時代から、戦車競走は市民に愛される娯楽でした。コンスタンティノープルでは、収容人数約5万人の競技場で年間100日以上、1日に数十レースが開催されていました。レースは「青」と「緑」のチームに分かれており、それぞれの応援団は市民生活に大きな影響力を持っていました。

戦車競技場は、単なる娯楽の場ではありませんでした。市民は皇帝に請願や抗議を行う場として利用し、「青」や「緑」の応援団がその音頭を取っていました。古代民主政の時代から、市民は政治に直接参加する意識を持っていましたが、帝政ローマにおいては「パンとサーカス」の代償として政治的権利を手放していました。しかし、ニカの乱においては、市民が自らの権利を取り戻そうとする動きが見られました。

原因：皇帝と市民の対立

ユスティニアヌス1世は、伯父の皇帝ユスティヌス1世のもとで実権を握り、次代皇帝になるべく市民の歓心を得ようと「青」のチームを حمایتしていました。しかし、彼は古代ローマ帝国の再興を願う一方で、戦車競技場の応援団体や市民を軽蔑していたとも言われています。彼の進める国土回復のための外征政策は、市民の生活を支える「パンとサーカス」を脅かすものであり、市民の不満は高まっていました。

暴動の勃発と激化

応援団員の起こした諍いをきっかけに、暴動が発生しました。処刑に失敗した「青」と「緑」の団員が教会に逃げ込むと、市民は彼らの釈放を要求し、「ニカ（勝利せよ）！」と叫び始めました。暴動は市内へ飛び火し、市総督の館や宮殿の門が放火され、聖ソフィア教会も焼け落ちました。市民は財務長官ヨハネスや司法長官トリボニアヌスの罷免を要求し、ユスティニアヌスは一時的にそれに応じましたが、事態は収束しませんでした。

ユスティニアヌスは、暴動の原因は自身にあると宣言し、市民を許そうとしましたが、市民は彼を拒絶しました。元老院議員や市民はアナスタシウスの甥のヒュパティウスを担ぎ上げ、皇帝として歓呼しました。ユスティニアヌスは逃亡を考えましたが、皇后テオドラの諫めにより、踏みとどまる決意をしました。

鎮圧と影響

ユスティニアヌスは将軍ベリサリウスに新たな攻撃を指示し、ベリサリウスは傭兵隊を率いて戦車競技場に突入し、市民を虐殺しました。史家プロコピオスによれば、この突入で3万人の市民が殺害されたと言われています。ヒュパティウスも捕らえられ、反乱は鎮圧されました。

ニカの乱は、ユスティニアヌスに専制政治への道を開かせました。彼は古代民主政治の伝統を否定し、ビザンツ帝国を абсолютна 国家へと変貌させました。また、ユスティニアヌスの古代ローマ帝国再興の理想は、時代錯誤であり、内外の人々に災難をもたらすものであったとプロコピオスは指摘しています。市民が皇帝に求めたものは「パンとサーカス」であり、ユスティニアヌスの外征政策によってそれが奪われることが反乱の理由でした。しかし、その「パンとサーカス」も属州民に対する支配と搾取からなるものであり、市民もまた「戦争」に加担していたと言えます。

ニカの乱は、ローマの「パンとサーカス」の終焉を飾るエピソードであり、新たな時代を築くものとはなり得ませんでした。しかし、この反乱は、市民が政治に直接参加する意識を持ち続け、自らの権利を求めて立ち上がったことを示す重要な出来事として記憶されています。

ユスティニアヌスはその後、ローマ法大全を編纂し、西方の領土を回復し、聖ソフィア教会を再建するなど、彼の理想を実現しました。しかし、ゴート人から奪い返した時、ローマ市の人口はわずか500人になっていたように、それは虚しいものでもありました。

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