ネロ浴場

ネロ浴場（Thermae Neronianae / Thermae Alexandrinae）

ネロ浴場は、ローマ帝国第5代皇帝ネロの命により、紀元後64年に帝国の首都ローマ、カンプス・マルティウス地区に築造された大規模な公共浴場です。これは、古代ローマにおける最初の公衆浴場として知られるアグリッパ浴場に続いて建設されたものであり、ローマ市内に登場した2番目の重要な公衆浴場となりました。

建設から約160年後の227年には、セウェルス朝の皇帝アレクサンデル・セウェルスによって大規模な改築が行われ、浴場の施設は大きく拡張・刷新されました。この改築事業は、ネロ浴場の規模と機能性を飛躍的に向上させたと考えられています。

浴場の名称については、創建者であるネロ帝にちなんで「ネロ浴場（テルマエ・ネロニアナエ）」と呼ばれるのが一般的でした。しかし、227年の大改築以降、特に中世においては、改築を行ったアレクサンデル帝の名を冠して「アレクサンデル浴場（テルマエ・アレクサンドリナエ）」と記述されることもありました。ただし、浴場が実際に利用されていた時代を通じては、「ネロ浴場」という呼び名が広く定着していたようです。

ネロ浴場は、ローマ市街地の中心部に位置し、有名なパンテオンと、かつてドミティアヌス競技場（現在のナヴォーナ広場の下に位置）があった場所の間に立地していました。建物は南北に長い長方形の構造を呈しており、当初の規模は推定で約190メートル×120メートル、総面積は約25,000平方メートルでした。アレクサンデル帝による227年の改築を経た後は、その面積は約40,000平方メートルにまで拡大されたと推測されており、これは当時のローマにおける主要な公共施設にふさわしい巨大な規模でした。

内部構造は、古代ローマの公衆浴場が備える典型的な要素を有していました。主要な温浴施設は南から北へと順に配置され、最も南側に高温浴室であるカルダリウム（Caldarium）が、その中央に微温浴室のテピダリウム（Tepidarium）が、そして最も北側に冷浴室であるフリギダリウム（Frigidarium）が設けられていました。建物の中心には、運動や休息のための広大な空間が存在しました。これは、コロネード（列柱廊）によって囲まれたパライストラ（Palaestra）と呼ばれる広場で、建物の東西両側に配置されていました。また、カルダリウムの周辺には、利用者が着替えを行ったり休憩したりするための付属室（脱衣室やラウンジなど）が配されていました。

建築材料には堅固な石材が使用されており、特に赤色御影石製の円柱が用いられていたことが知られています。これらの円柱の一部は、浴場が廃墟となった後、再利用されました。具体的には、2本の赤色御影石円柱が、1666年にパンテオンが教会として改修された際に移設され、現在もパンテオンのポルティコ（正面玄関の柱廊）で見ることができます。これは、古代建築部材の再利用（スポリア）を示す貴重な例となっています。

浴場に必要な大量の水は、既存のヴィルゴ水道から分岐して新たに建設されたアレクサンドリナ水道によって供給されていました。この水道は、浴場の建設と、特にその後の拡張によって増加した水需要を満たすために重要な役割を果たしました。

長い年月の間に、ネロ浴場の建物は崩壊し、現在ではその遺構はほとんど地上には残されていません。その跡地の一部は、現在のイタリア共和国上院議事堂であるマダーマ宮殿の敷地に含まれています。マダーマ宮殿の敷地内で行われた調査により、浴場の一部であった壁の基礎や、カルダリウムの下に設けられていた古代ローマ式の床暖房システムであるハイポコースト（Hypocaustum）の痕跡が発見されています。また、16世紀頃の記録からは、浴場の南側に位置していたカルダリウムの強固な基礎部分が、当時はまだ地上に見えていたことが示唆されています。

ネロ浴場は、古代ローマの公共生活の中心であった浴場文化の発展段階を示す重要な建築物の一つであり、後のより大規模な帝政期浴場のモデルともなり得る存在でした。現在わずかに残る遺構や文献記録から、その壮大な規模と構造を偲ぶことができます。

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