ハミルカル1世

カルタゴの英雄と帝国の影：ハミルカル1世と地中海覇権の興亡

紀元前510年から紀元前480年にかけて、マゴ朝カルタゴの王として君臨したハミルカル1世は、地中海世界におけるカルタゴの台頭を象徴する人物です。しかし、その輝かしい経歴は、第一次シケリア戦争での敗北によって終焉を迎え、カルタゴの勢力図に大きな変化をもたらしました。本稿では、ハミルカル1世の治世と、その後のカルタゴにおける王権の変遷について詳述します。

強大なカルタゴ帝国の基盤：外交と領土支配

ハミルカル1世時代のカルタゴは、すでに地中海世界において大きな勢力を誇っていました。ローマ共和国との条約締結は、その証です。紀元前509年に締結されたこの条約は、両国の勢力圏と交易範囲を明確に定めるものでした。カルタゴの支配域はシチリア島、サルデーニャ島、そして北アフリカ沿岸にまで及んでおり、エンポリオンやボン岬南方までその影響力を及ぼしていたことが、この条約によって裏付けられます。この条約は、ローマのエトルリア支配に対するカルタゴの関与、あるいはカルタゴのシケリア支配へのローマの黙認を示唆するものであり、地中海世界の複雑な政治情勢の一端を垣間見ることができます。

カルタゴはローマ以外にも、エトルリアやシケリアのフェニキア・ギリシア植民都市と条約を締結し、地中海世界における外交ネットワークを構築していました。紀元前6世紀末までには、旧フェニキア植民都市をほぼ掌握し、北アフリカ沿岸のリビュア部族を服属させるなど、広大な領土を支配下に置いていました。しかし、その軍事活動に関する情報は断片的で、特にシケリアにおけるギリシア植民都市との戦争に関する記録しか残っておらず、カルタゴの勢力拡大の全貌を理解することは困難です。

シケリアを巡る覇権争い：第一次シケリア戦争

シチリア島は、カルタゴとギリシア勢力の覇権争いの舞台となりました。この島には、古くからギリシア人とフェニキア人の植民都市が林立し、長年にわたって小規模な紛争が繰り返されてきました。カルタゴは、紀元前580年と紀元前510年のギリシア勢力のシケリア西部侵攻に介入しており、ディオドロスによると、その過程でヘラクレアが破壊されたと伝えられています。

紀元前490年までに、カルタゴはセリヌス、ヒメラ、ザンクルなどのギリシア都市と条約を結び、平和な関係を維持していました。しかし、シュラクサイの僭主ゲロンがシケリアのギリシア都市の統一を進めようとしたこと、そしてアクラガス僭主テロンがヒメラの僭主テリルスを追放したことが、カルタゴの介入を招きました。テリルスの義理の父であるレッジョの僭主アナクラシスの要請を受け、ハミルカルはカルタゴ史上最大規模の遠征軍を組織し、シケリアに侵攻しました。

この遠征は、ペルシアのクセルクセス1世によるギリシア侵攻とほぼ同時期に起こり、両者の間に同盟関係があったとの推測も存在しますが、これを裏付ける確たる証拠はありません。しかし、遠征は嵐に見舞われ、第一次ヒメラの戦いでゲロン率いる連合軍に敗北。ハミルカル自身も戦死するという、カルタゴにとって大きな打撃となりました。カルタゴは講和条約を締結し、多額の賠償金を支払いましたが、シケリアの領土は維持しました。

敗北と王権の衰退：ヒメラの戦いの影響

ヒメラでの敗北は、カルタゴに大きな影響を与えました。政治的には、従来の貴族政治が弱体化し、市民勢力が台頭しました。王の権力は低下し、元老院や裁判所が政治の中心となり、スフス（執政官）の影響力が強まりました。経済的には、地中海東部との貿易が阻害され、マグナ・グラエキアとの貿易も途絶えました。このため、カルタゴは地中海西部やキャラバン貿易に頼るようになり、経済構造に変化が生じました。

ハミルカルの息子ギスコは追放され、その後70年間、カルタゴはシケリアのギリシア都市に対する積極的な軍事行動を控えることになります。この期間、シュラクサイはシケリアのギリシア都市を指導する立場を得ました。軍事行動の停滞は、ヒメラの戦いの後、カルタゴの軍事力が著しく低下していたことを示唆しています。ヒメラの戦いは、カルタゴの黄金時代を終わらせ、新たな時代の幕開けを告げる出来事だったのです。

もう一度検索