ビロードの爪

ビロードの爪：ペリー・メイスン登場！法廷を離れたハードボイルドな闘い

1933年、アメリカの推理作家E・S・ガードナーによって発表された『ビロードの爪』は、弁護士ペリー・メイスンを主人公とするシリーズの記念すべき第一作です。しかし、この作品には、シリーズの代名詞ともいえる法廷シーンは一切登場しません。代わりに、メイスンが依頼人の利益を守るため、様々な策略を巡らせ、危険な駆け引きを展開する姿が描かれています。これは、ハードボイルド小説に見られる犯罪者や警察、さらには他の弁護士との知略を駆使した駆け引きを前面に押し出した、当時としては革新的な作品でした。

ガードナー44歳の時に書かれた本作は、彼の出世作となり、世間からの注目を集めることとなりました。それまでの生活から一転、弁護士の職を辞めて、創作活動や狩猟、旅行に没頭する日々を送るようになったという逸話も残されています。興味深いことに、日本では戦後になってからガードナーの作品が注目を集めるようになり、『ビロードの爪』も1937年に抄訳されたものの、長らく忘れられた作品の一つでした。

ガードナーの成功は、従来の探偵小説の様式を大胆に破ったことにあります。それまでの探偵小説が、虫眼鏡を使って物的証拠を集めるという、古臭い手法に頼っていたのに対し、『ビロードの爪』では、登場人物の行動や会話そのものが、事件解決の重要な証拠となるのです。江戸川乱歩はこれを「登場人物のうちの誰かが何事かをする、その行動そのものが、のっぴきならない証拠となるのである」と評しました。この手法は、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーといったハードボイルド作家に影響を受けたものといえますが、ガードナーは、本格派推理小説のような緻密なプロットを維持しつつ、ハードボイルド的な要素を取り入れた、独自のスタイルを確立しました。また、メイスンをカリフォルニア州以外の事件に関わらせないなど、法律の専門家としての知識を巧みに作品に反映させています。

物語は、謎めいた依頼人イヴァ・グリフォンの登場から始まります。彼女は、政治家ハリスン・バーグとの密会中にピストル強盗事件に遭遇し、その様子を赤新聞『スパイシー・ピッツ』に掲載すると脅されています。メイスンの秘書であるデラ・ストリートはイヴァを疑いますが、メイスンは依頼人のために戦うことを信条とし、探偵のポール・ドレイクと共に事件の真相解明に挑みます。捜査を進める中で、赤新聞の裏に富豪ジョージ・C・ベルダーの存在が浮かび上がってきます。

メイスンはベルダー邸を訪れ、そこでイヴァがベルダーの後妻であることを知ります。その後、メイスンはベルダー殺害事件の容疑者として疑われる事態に陥り、身を隠さざるを得なくなります。メイスンは、秘書や探偵、警察との協力、そして自身の機転と洞察力を駆使して、事件の謎を解き明かしていきます。そして、犯人たちの巧妙な罠を回避しながら、最終的に事件の真相に辿り着き、依頼人の利益を守ることに成功します。

この作品には、ペリー・メイスンとその秘書デラ・ストリート、そして探偵ポール・ドレイクという、後のシリーズでも重要な役割を担う主要キャラクターたちが登場します。彼らの関係性や、メイスンを支えるそれぞれの個性、能力が、物語に深みを与えています。また、様々な登場人物たちの思惑が複雑に絡み合い、読者を最後まで飽きさせない展開となっています。メイスンシリーズを代表する名作として、今も多くの読者から愛されている『ビロードの爪』は、ハードボイルド小説と本格推理小説の融合という、新たな境地を開いた作品といえるでしょう。

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