ポール・ナッシュ

ポール・ナッシュ

ポール・ナッシュ（Paul Nash, 1889年5月11日 - 1946年7月11日）は、20世紀前半のイギリス美術界において重要な地位を占める具象系の画家です。特に、彼の作品はシュルレアリスムとの関連で広く知られていますが、その活動は多岐にわたり、風景画や戦争画においても顕著な足跡を残しました。画家のジョン・ナッシュは彼の弟にあたります。

彼の個人的な背景には、母親であるキャロライン・ナッシュの精神疾患がありました。母親の病状が進行するにつれて、家族はそれまでの住まいを離れることになり、父親とポールはアパートで暮らし、妹と弟は寄宿学校で過ごすという形で家族は一時的に離散せざるを得ませんでした。

ポール・ナッシュは、イギリスの芸術家コミュニティにおいて積極的に活動しました。彼は、革新的な芸術家たちが集まる「ロンドン・グループ」や、モダニズムの様々な潮流を結集しようとした「ユニット・ワン」といった美術家グループに参加しました。これらのグループでの活動や交流を通じて、彼はヴォーティシズムの画家であるエドワード・ワズワースのような作家たちや、ベン・ニコルソン（1894-1982年）、バーバラ・ヘップワース（1903-1975年）、ヘンリー・ムーアといった同世代の主要なモダニズム芸術家たちと親密な関係を築き、相互に影響を与え合いました。

彼の初期の画風は写実的であり、主に風景を描いていましたが、やがてより多様な表現へと移行していきます。特に、第一次世界大戦に兵士として従軍した経験は、彼の芸術に決定的な影響を与えました。彼は戦場の現実を目の当たりにし、その荒廃や破壊を描いた一連の戦争画を制作しました。ナッシュはイギリス政府の「公式戦争画家」に任命され、『我々は新しい世界を創造している』のような、戦場の異様な風景を写実的かつ象徴的に描き出した作品を発表しました。これらの作品は、戦争の悲惨さや人間の尊厳の喪失を静謐かつ力強く表現しています。

戦後、ナッシュの関心はシュルレアリスムへと向かいます。彼のシュルレアリスム作品の特徴は、現実の風景、特にイギリスの田園や海岸を背景に、そこに本来あるはずのない、幾何学的な形態を持つオブジェや、文脈から切り離された不合理な対象を配置する手法にあります。これは、見る者の日常的な感覚を揺るがし、非現実的で謎めいた雰囲気を醸し出す「デペイズマン」の効果を意図したものです。自然の秩序だった風景と、人為的あるいは非合理的なオブジェとの奇妙な組み合わせは、彼の作品に独特の緊張感と詩情をもたらしました。

彼のシュルレアリスム様式を代表する作品の一つに、『巨石記念物の等価物』（1935年、テート・ギャラリー所蔵）があります。この絵では、イギリスらしい穏やかな田園風景が広がっていますが、その手前には突如として、巨大な円柱が二本と、格子模様が描かれた四角いオブジェが配置されています。これらのオブジェは、古代の巨石記念物のような存在感を放ちつつも、抽象的な形態をしています。この作品のスタイルは、エドワード・ワズワースが描いた海のシュルレアリスムとは異なり、ジョルジョ・デ・キリコやピエール・ロワといった画家たちの作品を連想させますが、ナッシュはさらに抽象的な要素を強めており、これは彼が交流していたベン・ニコルソンやヘンリー・ムーアからの影響も反映されていると考えられます。この重要な作品は、美術出版社から2000年に刊行された『カラー版20世紀の美術』（監修：末永照和）の77ページにも図版が掲載されており、広く知られています。

ポール・ナッシュは、風景の美しさ、戦争の現実、そしてシュルレアリスムを通して探求した非日常的な世界を表現し、20世紀イギリス美術史において独自の地位を確立しました。彼の作品は、今日でも多くの人々に影響を与え続けています。

関連項目

ベン・ニコルソン
ヘンリー・ムーア
20世紀美術
死の海（絵画）

もう一度検索