マルキオストロの受胎告知

ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1519年から1520年にかけて制作した『マルキオストロの受胎告知』は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する傑作の一つです。この油彩画は、トレヴィーゾのサン・ピエトロ・アポストロ大聖堂のマルキオストロ礼拝堂の祭壇画として依頼され、現在も同大聖堂に所蔵されています。ティツィアーノは、この作品において受胎告知の伝統的な構図を大胆に刷新し、新たな表現を生み出しました。

制作の背景

マルキオストロ礼拝堂は、司教であり人文主義者であったベルナルド・デ・ロッシの秘書、ブロッカルド・マルキオストロの依頼によって建設されました。礼拝堂は、トゥッリオとアントニオのロンバルド兄弟の設計で1519年10月に完成し、その後、イル・ポルデノーネによって壁面とクーポラのフレスコ画が描かれました。『受胎告知』は、礼拝堂の装飾が完成した1523年頃に、ティツィアーノが助手の協力を得て制作したと考えられています。

作品の特徴

この作品でティツィアーノは、市松模様の床が敷かれた教会の身廊を舞台に受胎告知を描いています。従来の受胎告知の図像では、大天使ガブリエルが左側、聖母マリアが右側に配置されるのが一般的でしたが、ティツィアーノは両者を入れ替え、大天使を右側後方に、聖母を左側前景に配置しました。この対角線的な構図によって、画面に動きと奥行きが生まれ、見る者に新鮮な印象を与えます。さらに、大天使の背後から聖母に向かって神聖な光が降り注ぐ様子を描くことで、この場面の神秘性とドラマチックな雰囲気を高めています。

画面中央奥の柱の後ろには、依頼主であるブロッカルド・マルキオストロが描かれています。鑑賞者から遠く離れた場所に配置することで、彼はこの聖なる場面の傍観者であることを示唆しています。

聖母マリアの姿は、非常に自然な形で捉えられており、画面の中で最も際立っています。重厚なマントを身にまとい、驚いて手にした本を床に置いた聖母は、戸惑いや恐れを感じさせることなく、厳粛な身振りで振り返っています。一方、天使の描写はややぎこちなく、一部の研究者は助手のパリス・ボルドーネによって描かれた可能性を指摘していますが、一般的にはティツィアーノ自身の作品として受け入れられています。

また、背景の寄進者の肖像は、1526年に不道徳な息子たちによって樹脂などで汚され、外観を損ねたため、おそらく1526年以降に塗り直されたと考えられています。

作品の影響

『マルキオストロの受胎告知』は、現在では過小評価される傾向にありますが、制作当時は大きな注目を集め、受胎告知の典型的な設定に革新をもたらしたと考えられています。実際、ロレンツォ・ロットの『レカナティの受胎告知』は、この作品に触発されて制作されており、聖母マリアと天使の配置や両者の身振りなど、多くの点で影響を受けています。特にロットは、ティツィアーノの作品では聖母が驚いて本を落とし、振り返る姿で表現されているのに対し、振り返ることなく逃げ去ろうとする姿で表現した点が注目されます。

ティツィアーノの他の受胎告知

ティツィアーノは、『マルキオストロの受胎告知』以外にも、いくつかの受胎告知の作例を残しています。これらの作品は、それぞれ異なる構図や表現を用いて、受胎告知のテーマを探求しています。

まとめ

『マルキオストロの受胎告知』は、ティツィアーノの革新的な才能を示す傑作です。伝統的な構図を大胆に刷新し、ドラマチックな対角線構図と光の表現によって、受胎告知の物語に新たな解釈をもたらしました。この作品は、後世の芸術家にも大きな影響を与え、受胎告知の図像に革新をもたらした重要な作品として、美術史において重要な位置を占めています。

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