マレー (出版社)

ジョン・マレーは、18世紀末に創業したイギリスの出版社であり、19世紀には文学や科学分野の重要な著作を世に送り出し、大きな影響力を持った存在です。特に、彼らが手がけた旅行ガイドブックは、その後の近代的なガイドブックの先駆けとして高く評価されています。

出版社の歴史と発展

1768年、元海軍士官のジョン・マレー1世によってロンドンに設立された同社は、その子のジョン・マレー2世の時代に詩人ジョージ・ゴードン・バイロンや作家ジェーン・オースティンといった著名な文学者たちとの親交を深め、文芸出版社としての確固たる地位を築きました。この頃、すでに旅行ガイドブックの出版も行っており、マリアーナ・スタークスの著作などが刊行されています。

革新的なガイドブックの誕生

家業を継ぐことになったジョン・マレー3世は、青年期にヨーロッパ大陸を旅する中で、既存のガイドブック、特にスタークスのものに物足りなさを感じていました。当時のイギリスでは、上流階級の間で「グランドツアー」が盛んに行われるなど、旅行が大衆化する兆しが見え始めており、彼はこうした新しい旅行者のニーズに応えるべく、より実用的で信頼できるガイドブックの必要性を痛感します。

「ハンドブック」シリーズの展開

1836年、マレー3世自身の企画・編集による最初のガイドブック『大陸旅行者のためのハンドブック』（A Handbook for Travelers on the Continent）が刊行されました。これはオランダ、ベルギー、北ドイツを対象としたもので、以降、スイス、南ドイツ、フランスなど対象地域を広げてシリーズ化されていきます。

ガイドブックの特徴

マレーのガイドブックは、従来の個人的な旅行記の要素を排し、客観的で実用的な情報を提供することに重点を置いていました。縦約18cm、横約12cmという携帯しやすい小型サイズで、薄くて良質な紙を用いることで厚みを抑える工夫が凝らされていました。表紙が赤色であったことから、「レッド・ガイド」の愛称で親しまれました。その内容は非常に詳細で、例えば1891年に刊行された日本ガイドの第3版は、450ページを超えるボリュームの中に、日本国内を65ものルートに分けて解説しているほどでした。

多様な出版物

マレー社はガイドブック以外にも、多岐にわたる分野の重要な書籍を出版しました。ジョン・マレー3世の代には、チャールズ・ダーウィンの革命的な著作『種の起源』をはじめ、自助論で知られるサミュエル・スマイルズ、探検家デイヴィッド・リヴィングストンといった著名な著述家の作品を数多く世に送り出しました。

イギリス国内版と日本ガイド

1851年には、イギリス国内を扱う最初のガイドブックとして「デヴォンとコーンウォル」が刊行され、これが「マレーのガイドブック」シリーズとして定着するきっかけとなりました。19世紀末には国内版だけで60種類を超えるまでに発展しました。日本に関するガイドブックも1891年に刊行されており、外交官アーネスト・サトウや日本研究家バジル・ホール・チェンバレンらが編集・執筆に携わりました。ラフカディオ・ハーンやウォルター・ウェストンのような著名人も寄稿しており、当時の日本を知る上で貴重な文献となっています。

評価と衰退

マレーのガイドブックは、ドイツのカール・ベデカーによるガイドブックと並び、近代的な旅行ガイドブックの創始者として位置づけられています。20世紀初頭まで、英語圏では旅行ガイドの代名詞となるほどその名を知られていました。例えば、江戸時代末期に日本を訪れたアーネスト・サトウは、日本の道中記を「日本のマレー」と例えています。しかし、20世紀に入ると、ベデカーの英語版や『ブルー・ガイド』、『ウォード・ロック』といった競合が現れ、インド案内などの一部を除いてシリーズは次第に衰退していきました。ジョン・マレー4世の時代には、シリーズの継続を断念し、その版権は他の地図出版社に売却されました。

現代

マレー社自体はその後も存続しましたが、20世紀後半、ジョン・マレー6世の代に買収され、現在ではホダー・ヘッドライン社の一部門となっています。

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