モーセの試練

モーセの試練:ボッティチェッリが描くモーセの青年時代



モーセの試練』(伊: Prove di Mosè, 英: The Trials of Moses)は、ルネサンス期の巨匠サンドロ・ボッティチェッリが1481年から1482年にかけて制作したフレスコ画です。この作品は、システィーナ礼拝堂の壁画装飾の一部として描かれました。主題は旧約聖書の「出エジプト記」に登場する預言者モーセの青年時代の様々なエピソードを扱っています。

制作の背景



1470年代後半、ボッティチェッリはフィレンツェ内外で高い評価を得ており、多くの注文を受けるようになりました。特に重要な仕事の一つが、ローマ教皇シクストゥス4世からの依頼によるシスティーナ礼拝堂の壁画装飾でした。このプロジェクトで、ボッティチェッリは旧約聖書新約聖書から3つの場面と、歴代教皇の肖像画11点を制作しました。

教皇シクストゥス4世は、1477年から1480年にかけてヴァチカン宮殿の礼拝堂を改築し、自身の教皇名からシスティーナ礼拝堂と名付けました。1480年10月27日、ボッティチェッリは他のフィレンツェの画家たちと共に、この礼拝堂の装飾のためローマへ出発しました。このプロジェクトは、フィレンツェの実質的な支配者であったロレンツォ・デ・メディチとシクストゥス4世の和解の一環でもありました。

ローマでは、ボッティチェッリはコジモ・ロッセリ、ドメニコ・ギルランダイオ、ピエトロ・ペルジーノといった当時の著名な画家たちと共に、『モーセ伝』と『イエス・キリスト伝』という2つの連作を礼拝堂の壁面に描きました。これらの連作は予型論の視点から旧約聖書新約聖書が一体であることを示しており、モーセはキリストの先駆者として、それぞれ対応する場面が描かれました。ボッティチェッリは『モーセの試練』、『反逆者たちの懲罰』、『キリストの試練』を担当しました。

ジョルジョ・ヴァザーリは、教皇が装飾事業全体をボッティチェッリに任せたと述べていますが、近年の研究では、その中心的な役割を担ったのはペルジーノであると考えられています。画家たちは1481年7月から1482年5月にかけて壁画を制作しました。11ヶ月という驚くべき短期間で完成されたこれらの壁画は、ボッティチェッリがフィレンツェのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ病院で『受胎告知』を制作した後に、助手たちと協力して描かれたものです。1482年2月17日には、礼拝堂の完成に必要な他の装飾のための契約が更新されましたが、2月20日に彼の父が死去したため、ボッティチェッリはフィレンツェに戻らざるを得なくなりました。

作品の詳細



モーセの試練』は、『モーセ伝』連作の3番目に位置し、「出エジプト記」から取られたモーセの青年時代の4つのエピソードを、7つの場面に分けて異時同図法的に描いています。このフレスコ画は、ボッティチェッリが反対側の壁に描いた『イエスの試練』と対をなしています。フリーズには、「TEMPTATIO MOISI LEGIS SCRIPTAELATORIS」という銘文が記されています。

画面の中で、モーセは黄色い衣服と緑のマントを身に着けており、容易に見分けることができます。右側には、モーセユダヤ人を苦しめていたエジプト人を殺害し、ミデヤンの地に逃げる場面が描かれています。このエピソードは、悪魔を打ち負かすイエスの前兆とみなされています。画面中央では、モーセが(後に妻となるチッポラを含む)エテロの娘たちが牛に水を与えるのを妨害した羊飼いを追い払い、彼女たちのために井戸から水を汲んでいる場面が描かれています。左上隅には、シナイ山で放牧していたモーセが茂みの中で燃える神に遭遇し、神の言葉に従って靴を脱いでいる場面があります。そして、モーセはエジプトに戻って人々を解放するよう命じられます。最後の左下隅の場面は、モーセがエジプトに戻るために家族と共にエテロの土地を出発する様子を描いていると考えられます。また、モーセユダヤ人を率いてエジプトを脱出し、約束の地に導いている場面と解釈することもできます。

作品の影響



フランスの作家マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の第一篇「スワンの恋」では、ヒロインのオデット・ド・クレシーが、この絵画の中央に描かれた「エテロの娘、チッポラ」に似ていたことから、主人公シャルル・スワンが恋をするという重要なきっかけになっています。仏文学者の吉川一義は、『失われた時を求めて』におけるオデットの描写は、チッポラを基にしていると指摘しています。

モーセの試練』は、ボッティチェッリの卓越した技量と物語性を伝えるだけでなく、後世の文学作品にも影響を与え、その芸術的な価値を今日まで示し続けています。

参考文献



バルバラ・ダイムリング『ボッティチェッリ(ニューベーシック・アートシリーズ)』 タッシェン(2001年)
『西洋絵画作品名辞典』黒江光彦監修、三省堂(1994年)
吉川一義『プルースト「スワンの恋」を読む』白水社、2004年4月30日。

外部リンク



ヴァチカン美術館公式サイト, システィーナ礼拝堂南壁

関連項目



システィーナ礼拝堂壁画修復
反逆者たちの懲罰
* 出エジプト記

もう一度検索

【記事の利用について】

タイトルと記事文章は、記事のあるページにリンクを張っていただければ、無料で利用できます。
※画像は、利用できませんのでご注意ください。

【リンクついて】

リンクフリーです。