モーリス・ブランショ

モーリス・ブランショ：顔なき作家の生涯と思想

モーリス・ブランショ（1907-2003）は、20世紀フランスを代表する哲学者、作家、そして批評家です。戦後フランス最大の文芸批評家と評され、独特の作風と思想から「顔なき作家」とも呼ばれました。その生涯と、文学、思想への影響を詳細に探ります。

若き日のブランショ：右翼思想への接近と転向

フランス東部で生まれたブランショは、ストラスブール大学で哲学とドイツ語を専攻。同大学に在籍していたエマニュエル・レヴィナスと親交を結びました。学生時代は、アクション・フランセーズなどの影響を受け、右翼思想に傾倒。マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』にも触れ、後の思想形成に大きな影響を与えました。

極右機関紙『コンバ(戦闘)』で執筆活動を開始したブランショは、ラディカルな右翼論陣を張ります。ピエール・ドリュ＝ラ＝ロシェルの秘書を務めていた時期もあり、ブルジョワ社会や議会制民主主義を批判、英雄的な行動による現状打破を主張しました。しかし、彼の思想は「拒否」の精神と革命の意義の重視という点で、従来の右翼思想とは異なっていました。この点が、後に彼を右翼的立場から転換させる契機となったと指摘されています。

1930年代末、ブランショは政治活動を辞め、文学活動に専念。ジョルジュ・バタイユら非共産主義的左翼との交流を始めます。第二次世界大戦中、親ドイツ的ヴィシー政権で職に就いていたとする報告もありますが、ユダヤ人であるレヴィナスの親族を匿ったり、バタイユの著作に協力するなど、彼の行動からは転向の兆候が見て取れます。しかし、この転向は複雑で、一筋縄では説明できません。

ナチズムとホロコーストの経験は、ブランショに大きな衝撃を与えました。特にホロコーストは彼の思想に決定的な影響を与え、その後も繰り返しこの出来事について語っています。戦争末期にはドイツ軍に銃殺されかける経験もしており、この体験は後の小説に反映されています。

顔なき作家としてのブランショ：文学空間とエクリチュール

戦後、ブランショは執筆活動に専念。「顔写真一枚公開せず、書かれたテクストのみを提示する」という姿勢を貫き、「顔なき作家」と呼ばれるようになりました。これは、彼自身の「書くとは何か」という問いかけへの答えであり、「書く場においては書き手は不在となる」という思想の反映でした。

1955年発表の『文学空間』は、文学者や作品を論じながら、ハイデッガーの存在論を批判的に応用し、「書くこと」「エクリチュール」「死」「非人称の死」「文学空間」といった概念を提示。現代思想の最前線に立つ思想家としての地位を確立しました。

ブランショは、アルジェリア戦争や五月革命などにも積極的に関与。「121人宣言」に署名したり、「作家学生行動委員会」を組織して街頭行動に参加したりしました。マルグリット・デュラスとも深く交流し、互いに影響を与え合っていました。

晩年も執筆活動を続け、1994年には銃殺されかけた体験を描いた『私の死の瞬間』を発表。その後は批評、論考を発表し続け、2003年に95歳で亡くなりました。

作風と思想：マラルメ、カフカ、そして死

ブランショの文学的営為は、ステファヌ・マラルメとフランツ・カフカから多大な影響を受けました。マラルメの「本質的な言葉」や「書き手の不在」、カフカの死や非人称的なものへの関わりが、彼の小説と批評に深く反映されています。

初期の小説はジロドゥーやカフカの影響が見られますが、次第に従来のリアリズムから離れ、簡約化・簡潔化が進みます。登場人物の固有名詞が曖昧になる傾向も強まります。晩年の『私の死の瞬間』は、簡潔な文体で自らの体験を記した作品です。

文学思想においては、マラルメ、カフカの他にリルケ、ヘルダーリン、カミュ、メルヴィルなど多くの作家・詩人を論じ、独自の思想を展開しました。「無為」としての文学活動、「死への臨み」、「文学空間」といった概念は、現代思想に大きな影響を与えました。

ブランショの思想は文学にとどまらず、死、友愛、共同体、主体性など、広範囲なテーマを扱っています。ハイデッガー哲学への批判、マルクス主義への複雑な視線、レヴィナスの哲学やユダヤ思想への傾倒など、多様な思想的背景が彼の作品に反映されています。

フーコー、ドゥルーズ、デリダ、レヴィナスなど、多くの思想家・作家がブランショに影響を受け、その思想は現代思想に大きな足跡を残しました。

もう一度検索