ロアルド・ホフマン

ロアルド・ホフマン（Roald Hoffmann）は、1937年 7月18日に生を受けたアメリカ合衆国の化学者です。ホロコーストの過酷な時代を生き延びた人物としても知られています。出生名はロアルド・ザフランといい、その名はノルウェーの探険家、ロアール・アムンセンに由来しています。

業績

ホフマンは、量子化学の分野において輝かしい業績を残しました。特に、高名な化学者ロバート・バーンズ・ウッドワードとの共同研究を通じて、有機化学反応における分子の立体的な変化を電子構造の観点から予測するウッドワード・ホフマン則を確立しました。この法則は、化学反応の進行様式を理解し予測するための強力な指針となり、有機合成化学などに多大な影響を与えました。この革新的な発見が評価され、1981年には日本の福井謙一博士と共にノーベル化学賞を受賞する栄誉に浴しました。

彼の研究は、有機化合物と無機化合物の両方にまたがり、理論化学、特に計算機化学の手法発展に大きく寄与しました。1963年には、分子軌道計算をより簡便に行うための拡張ヒュッケル法を開発し、これは初期の計算機化学研究において広く用いられました。これらの計算手法を駆使することで、彼はウッドワード・ホフマン則をはじめとする様々な化学現象の理論的な解明を進めました。

来歴とホロコースト体験

ホフマンは、ポーランド第二共和国時代のガリツィア地方、現在のウクライナ領ゾーロチウにあたる地で、ユダヤ系の家庭に誕生しました。父はヒレル・ザフラン、母はクララ・ローゼンでした。

彼の幼少期は、第二次世界大戦の勃発とともに激動の時代となります。家族はまずソビエト連邦の占領下に置かれ、続いて1941年からはナチス・ドイツによる占領が始まりました。ユダヤ人であるホフマン一家は、ナチスの迫害により強制収容所へ送られるという過酷な運命に直面します。しかし、1944年に父ヒレルの決死の努力により、ロアルドと母クララは収容所からの脱出に成功し、困難な状況下で匿われることとなりました。悲劇的なことに、父は脱出の過程で命を落としてしまいました。

同年6月、ソビエト赤軍の進攻によって解放されたホフマンと母は、ポーランド国内を移動し、プシェムィシルを経てクラクフに落ち着きました。その後、母クララはパウル・ホフマンと再婚し、ロアルドは継父の姓であるホフマンを名乗るようになります。

戦後のポーランドを出国した一家は、安住の地を求めてヨーロッパ各地を転々とします。チェコスロバキアを経てオーストリアの避難民キャンプ、さらに西ドイツの難民収容所などを経由し、長い放浪の末、1949年にようやくアメリカ合衆国への渡航が実現しました。一家はニューヨークのブルックリンに新たな生活の基盤を築きました。

教育とキャリア

アメリカに定住した後、ホフマンは勉学に励みました。コロンビア大学に進学し、1958年に化学を専攻して卒業しました。その後、ハーバード大学大学院に進み、X線結晶構造解析でノーベル化学賞を受賞したウィリアム・リプスコム教授のもとで研究に没頭し、1962年に博士号を取得しました。

博士号取得後、彼は学術の道を進み、1965年にはコーネル大学の准教授に就任しました。卓越した研究成果と教育手腕が評価され、わずか3年後の1968年には教授へと昇進し、その後長年にわたりコーネル大学で教育と研究の第一線に立ち続けました。

その他の活動

化学者としての探求心に加え、ホフマンは幅広い分野でその才能を発揮しています。彼は科学に関する啓蒙書の執筆を通じて、一般の人々にも科学の奥深さや面白さを分かりやすく伝える活動を行ってきました。また、詩人としても活動しており、これまでに2巻の詩集を刊行しています。さらに、科学的な発見やそのプロセスをテーマにした劇『O₂ Oxygen』を執筆するなど、科学と人文科学、芸術を結びつけるユニークな活動を展開しています。

2009年には、自身の出生地であるウクライナのゾーロチウに、ホロコースト犠牲者のための記念碑建立を主導しました。これは、彼自身が経験した悲劇的な過去を記憶にとどめ、平和への願いを込めた重要な取り組みです。

受賞

ロアルド・ホフマンは、ノーベル化学賞以外にも、その傑出した業績に対して国内外の数多くの栄誉ある賞を授与されています。

ACS純粋化学賞 (1969年)
アーサー・C・コープ賞 (1973年)
ライナス・ポーリング賞 (1974年)
センテナリー賞 (1974年)
レムセン賞 (1980年)
ウィリアム・H・ニコルズ賞 (1981年)
アメリカ国家科学賞 (1983年)
米国科学アカデミー賞化学部門 (1986年)
プリーストリー賞 (1990年)
シュレーディンガー・メダル (1990年)
アメリカ化学者協会ゴールドメダル (2006年)
ロモノーソフ金メダル (2011年)

ロアルド・ホフマンは、科学における偉大な発見を成し遂げただけでなく、困難な時代を生き抜いた強い精神力と、科学の枠を超えた幅広い文化的活動を通じて、多方面に影響を与えた稀有な存在と言えるでしょう。

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