ヴィーナスとオルガン奏者と犬

『ヴィーナスとオルガン奏者と犬』は、盛期ルネサンスのヴェネツィア派を代表する巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1550年頃に制作した油彩画です。この作品は、プラド美術館に所蔵されており、ティツィアーノが描いた「ヴィーナスと音楽奏者」を主題とする作品群の一つとして知られています。

この作品では、愛の女神ヴィーナスがオルガン奏者とともに描かれています。ティツィアーノは、同様の主題でリュート奏者とヴィーナスを描いた作品も残していますが、本作を含む一連の作品ではオルガン奏者が登場します。ただし、プラド美術館に所蔵されているもう一点の作品やベルリン絵画館の作品とは異なり、本作には署名がなく、弟子の手が入っている可能性も指摘されています。

歴史

この作品は、17世紀にヴェネツィアの法学者フランチェスコ・アッソニカが所有していた記録が残っています。その後、イングランド王チャールズ1世の手に渡り、彼の没後にはスペイン王フェリペ4世のコレクションとなりました。1666年には、マドリードのアルカサル（旧王宮）の財産目録に初めて記載されています。1796年のナポレオン戦争中にヴィーナスの腹部と脚部が損傷しましたが、1816年にスペインに戻り、1827年以降はプラド美術館のコレクションに収められています。

制作年代を特定する明確な証拠はありませんが、ティツィアーノが1545年に神聖ローマ皇帝カール5世に送った手紙の中で、ヴィーナスを主題とした絵画について言及していることから、1548年頃または1550年から1551年の間に制作されたと考えられています。本作の構図は、プラド美術館にある『ダナエと黄金の雨』とも類似しており、制作時期が近いことを示唆しています。

近年、X線調査によって、この作品が「ヴィーナスとオルガン奏者」シリーズの中で最も初期に制作されたものであることが判明しました。当初、横たわる女性はオルガン奏者と視線を合わせていましたが、最終的には子犬の方を向くように修正されており、これがその後の作品に影響を与えたと考えられています。

作品

この作品における裸婦の表現は、ティツィアーノが以前に手がけた『ウルビーノのヴィーナス』や『ダナエ』の作風を踏襲しつつ、より自然で肉感的なものへと進化しています。柔らかく滑らかな質感の裸体は、深紅のベッドカバーと赤いカーテンとのコントラストによって強調されています。また、じゃれつく犬の存在が、くつろぐヴィーナスの姿をより引き立てています。

物々しい衣装と剣を身に着けたオルガン奏者は、鑑賞者に一種のエロティシズムを感じさせます。彼の不躾な視線は、鑑賞者が彼自身を投影し、裸婦を眺めるという構図を生み出します。背景には、庭園で散歩する恋人たちや、シカや犬が描かれており、官能的な雰囲気を醸し出しています。特に、サテュロスを象った噴水に寄り添うクジャクは、その官能性をより際立たせています。

この作品に描かれたヴィーナスは理想化された容貌ではなく、オルガン奏者はスペイン人風の顔立ちをしており、特定の人物の肖像である可能性も指摘されています。神話の女神と現実の男性が同じ画面に描かれていることから、「ヴィーナスとオルガン奏者」という主題は、単なる神話画ではなく、寓意的な意味を持つ作品として解釈されています。

新プラトン主義的な解釈では、視覚と聴覚の優劣を説き、女性を高級娼婦と見なし、子犬を虚栄の美の象徴とする見方も存在します。また、オルガン奏者の短剣にエロティックな意味を見出す研究者もいます。プラド美術館の館長ミゲル・ファロミールは、女性像が結婚指輪をしていることや、犬やクジャクといった忠誠や豊穣の象徴が描かれていることから、結婚記念画として制作された可能性を示唆しています。

本作は、知的なユーモアと官能性を巧みに融合させ、注文主の期待に応えた作品と言えるでしょう。ティツィアーノがヨーロッパ中に多くのパトロンを得ていたことが、この作品の人気と多くのバリエーションや複製が存在することからも窺い知れます。

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