三軒長屋

三軒長屋

『三軒長屋』（さんげんながや）は、江戸落語の演目の一つです。その源流は、中国の明代に著された笑話集『笑府（しょうふ）』の第六巻「殊稟（しゅりん）部」に収められた「好静（こうせい）」にあります。静けさを好む人物が、騒々しい隣人との間でお金ではなく食事を振る舞うという原話から、日本の笑話本『是はもつとも』へと形を変え、現在の落語に近い筋立てとなりました。

あらすじ

物語の舞台は、三軒続きの長屋です。向かって右には荒っぽい若い衆を束ねる鳶頭の政五郎が住み、左には「一刀流」の看板を掲げる浪人剣士、楠運平橘正国（くすのき うんぺい たちばなの まさくに）が剣術道場を開いています。そして、この二軒に挟まれる形で暮らしているのが、この騒動の発端となる高利貸し、伊勢屋勘右衛門（いせや かんえもん）の囲い者です。

ある日、この囲い者が勘右衛門に「両隣がやかましくて仕方ないから、他の場所に引っ越したい」と訴えます。鳶頭の家からは普段から荒くれ者たちの出入りがあり、酒盛りでの大騒ぎは日常茶飯事。祭りの時期ともなれば、朝早くから威勢のいい木遣りの稽古が始まり、その声が響き渡ります。一方、剣術の先生宅も負けてはいません。大勢の門弟たちが朝から晩まで稽古に励むため、打ち込みの音や気合の声が絶えず、こちらも実に騒がしいのです。

ただ隣が騒がしいくらいで引っ越すのは馬鹿らしいと考えた勘右衛門は、ある算段を巡らせます。実はこの長屋全体が、彼の金貸しの担保に入っていたのです。この状況を利用し、抵当が流れた暁には両隣の店子を追い出し、長屋全体を一つの大きな屋敷として囲い者に与えようという腹づもりでした。勘右衛門がこの目論見を語り、囲い者をなだめているのを偶然聞いてしまった家の女中が、井戸端での立ち話でうっかり漏らしてしまったことから、計画はあっという間に知れ渡ってしまいます。

これを聞いて激怒したのが、鳶頭の女房でした。「大家さんからならともかく、あの伊勢屋の妾の都合で、私たちの家を追い出されるなんて我慢できない！」と、夫である鳶頭の政五郎を強くけしかけます。

鳶頭は少し考えた後、翌朝になると羽織をまとい、楠運平先生の道場へと向かいました。そして、事の次第を先生に詳しく話しました。

「何としたことか！あの守銭奴が我々に立ち退きを迫るとは！」

話を聞いた楠先生はかっとなり、門弟たちを引き連れて勘右衛門と勝負に出ようとし、「まずは奴の家に火をつけて...」などと過激なことを口走ります。そんな先生を鳶頭が落ち着かせ、代わりに何か耳元で密かに策を授けました。

翌日、伊勢屋に現れたのは楠先生でした。「わたくし、道場が手狭になりましたゆえ、別の場所へ引っ越すことにいたしました」と切り出します。しかし、引っ越し費用に余裕がないため、その資金を工面する目的で、他流試合を兼ねた千本試合を開催することにしたと言うのです。「様々な流派から剣客が集まり、お金を出して試合をするのです。本来は竹刀での勝負ですが、もし遺恨があれば真剣勝負も行いますので、人の首や腕が飛んでくるかもしれません。もし、そういったものがお宅に転がり込んでしまっても、どうぞご容赦ください」と、穏やかな口調ながら恐ろしい事態を示唆しました。

これを聞いた勘右衛門は恐れおののき、「引っ越し代をお渡ししますから、どうか試合だけは勘弁してください」と頭を下げて懇願しました。五十両を受け取った楠先生が引き上げると、入れ替わるように今度は鳶頭が伊勢屋へやってきました。

「実は、あたしも引っ越すことになったんですがね。金がねぇんで、景気づけに派手な宴会（花会）を開こうと思うんですよ」と切り出します。宴会には酒がつきものです。ただでさえ血気盛んな若い衆が、酒を飲んだらどうなるか。「気をつけはしますがね、何しろ、肴に鮪の刺身を出すんで、うってつけの包丁があるでしょう。いざ斬り合いになれば、首が二十も三十も...」と、先生と同様に恐ろしい事態になる可能性を示唆しました。

勘右衛門は、これが脅迫であることを見抜きつつも、「脅かすのはやめなさい。引っ越し代が欲しいならそう言いなさい」と、またしても五十両を支払いました。帰ろうとする鳶頭に、勘右衛門は「そういえば、剣術の先生も同じようなことを言っていたが、お前さん方、いったいどこへ引っ越すんだい？」と尋ねます。すると鳶頭は、驚きの結末を告げるのでした。

「へえ、それが、先生があたしの長屋へ越して、あたしが先生の長屋へ、ってことになったんですよ」

解説

この噺は、金貸しの邪な計画を、隣人である鳶頭と剣術家が仕掛けた見事な奇策によって打ち砕く、実に痛快な物語です。登場人物が多く、彼らが入れ替わり立ち替わり登場するため、演じこなすには相当な力量が求められる大ネタとされています。原話の「好静」が静寂を好む人物が御馳走を振る舞う話であるのに対し、この「三軒長屋」では騒音と立ち退き問題、そして大胆な脅しという展開が加わり、よりドラマチックになっています。面白い筋立てが評判となり、1905年（明治38年）には八代目市川八百蔵主演で歌舞伎化もされました。

近代落語の名人と称される四代目橘家圓喬（たちばなや えんきょう）が得意とした演目としても知られています。

五代目古今亭志ん生の「三軒長屋」

五代目古今亭志ん生（ここんてい しんしょう）の高座にかかる『三軒長屋』は、聴きどころが非常に多いのが特徴です。例えば、喧嘩の仲裁に入る場面で語られる、志ん生師匠ならではの「獅子舞での珍失敗談」や、立ち退きを城攻めに例えて伊勢屋襲撃を叫ぶ楠先生の場面などは、聴衆を爆笑の渦に巻き込むクライマックスとなります。元来、演じると時間のかかる長編であるため、志ん生師匠が高座にかける際は、通常、前後編に分けたり、他の噺家（例えば三代目三遊亭金馬師匠など）と連携して前編のみを演じたりすることが通例でした。志ん生師匠はこの噺の結末を「聴けば誰もがアッと驚く」と評しており、そこへ至るまでの語り口もまた見事だったと言われています。

主な演者

• - 物故者

- 四代目 橘家圓喬
- 五代目 古今亭志ん生
- 六代目 三遊亭圓生
- 三代目 三遊亭金馬
- 三代目 古今亭志ん朝

• - 現役

- 四代目 柳亭市馬
- 柳家一琴
- 四代目 隅田川馬石

参考文献

• - 武藤禎夫「解説」『定本 落語三百題』岩波書店、2007年
• - 興津要（編）『古典落語（続々）』講談社《講談社文庫》、1973年

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