上表

平安時代の天皇への文書提出：上表の制度と歴史

平安時代の日本において、天皇に対する文書提出は「上表」と呼ばれ、皇族から庶民に至るまで、様々な階層の人々が天皇への意思表示や願いを伝える重要な制度でした。上表は単なる文書提出ではなく、天皇への敬意と臣下の立場を明確に示す儀式的な側面も持ち合わせていました。

上表の種類と内容

上表は、その目的により大きく3種類に分類されます。

1. 賀表（がひょう）： 天皇の即位、元服、立后、立太子、朔旦（ついたち）、冬至など、慶事の際に天皇に祝意を表すために提出されました。
2. 抗表（こうひょう）： 天皇から賜った恩恵（土地、官職、特権など）を辞退する際に提出されました。これは単なる拒否ではなく、天皇への忠誠心と謙遜の気持ちを示す行為でした。
3. 辞表（じひょう）： 官職を辞任する際に天皇に提出する文書です。特に五位以上の官人（貴族）は、選叙令によって辞表を提出することが義務付けられていました。

しかし、実際にはこれらの3種類以外にも、身分変更の申請や天皇の許可を必要とする様々な事案に対して上表が用いられていました。つまり、上表は単なる儀礼的な行為だけでなく、具体的な政治的・社会的な事柄を扱うための重要な手段でもあったのです。

上表の手続きと形式

上表を行う者は、男性であれば「臣」、女性であれば「妾」と自称し、文書の冒頭は「臣（妾）某言」、結末は「臣（妾）某誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪謹言」と記されました。これは、深い敬意と罪深さを自覚した謙虚な言葉遣いです。上表は中務省を通じて天皇に提出され、太政官は関与しませんでした。

上表の変遷と儀礼化

平安時代中期以降、賀表や抗表は形式的なものとなり、次第に行われなくなりました。「上表」という言葉は、辞表とほぼ同義語として用いられるようになりました。辞表の提出自体も儀礼化し、上表の手続きは有職故実（朝廷の儀式や制度に関する知識・技術）として後世に伝えられました。

特に摂関などの高官の上表は、3回にわたって行われるのが慣例となりました。1回目と2回目は天皇から慰留され、上表は返却されます。3度目の上表で、天皇が辞任の可否を決定するのです。1回目、2回目、3回目の上表はそれぞれ「初度」「第二度」「第三度」と呼ばれました。

さらに、新任の大臣が就任前に上表を行い、第三度の返答を受けるまで繰り返す事例も現れました。これは、辞任だけでなく、就任の意思表示や天皇の承認を得るための儀式として上表が用いられていたことを示しています。

歴史上の事例

平安時代の歴史書には、上表に関する多くの記録が残されています。『日本後紀』には、藤原緒嗣が辞任を3度にわたって上表し、許可されなかった例が記されています。『権記』には、藤原道隆、藤原道長が病気のために辞表を提出した例、『小右記』には藤原実資が右大臣就任前に上表を行った例が記録されています。これらの事例は、上表が単なる形式的な行為ではなく、現実の政治状況に密接に結びついていたことを示しています。また、藤原伊尹の事例や九条忠家の事例は、天皇の権威と摂関家の権力のバランス、そして幕府の影響なども示唆する興味深い例となっています。

摂関家の特殊な上表

摂政が上表を提出する場合、天皇が未成年であることや、摂政が自身の辞任を自ら判断するという矛盾を避けるため、天皇に代わって院（上皇・法皇）や女院（皇太后）に提出するのが慣例でした。藤原基経、藤原道長、藤原師実などが、この慣例に従って上表を行った例が知られています。この慣例は、摂関家の権力の行使と天皇家との複雑な関係性を理解する上で重要な要素です。

まとめ

上表は、平安時代の政治制度を理解する上で欠かせない要素です。単なる文書提出というだけでなく、天皇への忠誠、謙遜、そして政治的駆け引きの手段として機能していました。その形式、手順、歴史的な変遷、そして摂関家の特殊な事例などを理解することで、平安時代の政治・社会構造への深い理解を深めることができるでしょう。

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