下川凹天

下川凹天（しもかわへこてん、またはしもかわおうてん）は、1892年（明治25年）5月2日に沖縄県宮古島で生まれ、1973年（昭和48年）5月26日に満81歳で亡くなった、日本の漫画家、そしてアニメーション黎明期の先駆者です。本名は貞矩（さだのり）といい、凹天はペンネームとして知られています。大正から昭和にかけて漫画家として活躍しただけでなく、日本の初期アニメーション映画制作にも深く関わったことで、幸内純一、北山清太郎と並んで「日本アニメーションの創始者の一人」と称されています。

生い立ちから漫画家への道

宮古島で小学校長の父のもとに生まれた下川ですが、幼くして父を亡くし、母の実家がある鹿児島県へ移り住みます。その後、東京で陸軍軍人であった伯父に引き取られ上京しました。旧制・麹町小学校を卒業後、雑誌の広告をきっかけに当時の著名な漫画家、北澤楽天のもとに書生として入門。「凹天」の号はこの時に楽天から与えられました。楽天の勧めで旧制・青山学院に入学しますが、わずか1年で落第・退学となり、楽天からは一度破門されてしまいます。それでも漫画家への夢を捨てきれず、陸軍省陸地測量部で働きながら独学で漫画の腕を磨きました。

転機が訪れたのは1912年（明治45年）。師である楽天が新たな雑誌『楽天パック』を創刊した際に、下川は心機一転した自身を伝える手紙を送ります。楽天はこれを喜び、再び下川を迎え入れました。楽天パック社の社員となった下川は同誌に執筆を開始し、プロの漫画家としてのキャリアをスタートさせます。1916年（大正5年）には初の単行本となる似顔絵集『ポンチ肖像』を発表。当時の漫画界を代表する多くの作家からの序文や序画が寄せられるなど、その実力が認められていました。同年、たま子と最初の結婚をしています。

日本アニメーションの開拓者として

漫画家として活動する中、1916年には天然色活動写真株式会社（天活）からアニメーション制作の依頼が楽天パック社に持ち込まれました。話し合いの結果、下川がこの前例のない仕事に推薦され、好条件と国産初のアニメーション制作への情熱からこれを受けます。当時、アニメーションに関する技術や資料は皆無に等しく、下川は手探りで研究を進めました。同じ時期に幸内純一や北山清太郎も独自にアニメーション制作に着手しており、日本の初期アニメーションはまさに黎明期を迎えていました。

1917年（大正6年）1月、下川が手掛けた短編アニメーション映画『凸坊新畫帖芋助猪狩の巻』が公開されます。これが国産アニメーション映画として最も早く公開された作品とされていますが、他の作家たちもほぼ同時期に完成させていたため、彼ら3人全員が日本アニメーションのパイオニアとして位置づけられています。

初期の制作方法としては、黒板に絵を描いて少しずつ消したり描き加えたりしながら撮影する手法を用いていたとされています。その後は、複数の背景画にホワイトで人物などを描き込んで撮影する方法を試みましたが、この際に使用した電球の強い光が原因で眼病を患い、長期の入院を余儀なくされました。これを機に天活を退社し、以降アニメーション制作に再び関わることはありませんでした。日本の初期アニメーションを切り拓いた下川が、図らずもアニメーターの職業病第一号となってしまったのです。

新聞漫画家としての成功と晩年

アニメーション制作から離れた後、下川は主に新聞漫画家として精力的に活動を続けます。1918年（大正7年）頃から、『大阪毎日新聞』や『東京日日新聞』など、全国の主要な新聞で似顔漫画や風刺漫画の執筆を開始。1919年から1920年にかけては『読売新聞』の専属となります。その後も様々な新聞に作品を提供し続けましたが、特に読売新聞で連載した四コマ漫画『男やもめの巖さん』や『無軌道父娘』は、新聞漫画家としての下川の名を広く知らしめる代表作となりました。また、自身で漫画雑誌『漫画』や『漫画王国』を刊行するなど、漫画界の中心人物の一人として活動しました。

私生活では、1919年に生まれた長男を半年後に亡くすという悲しい出来事を経験しています。1940年（昭和15年）には妻たま子と死別し、同年になみをと再婚しました。

1950年（昭和25年）に千葉県野田市へ移住し、翌年には漫画家としての引退を表明。晩年は仏画の研究に没頭したと言われています。1963年（昭和38年）に再婚した妻なみをも亡くしてからは、地元の名士である茂木房五郎氏の厚意により、その邸宅の離れで余生を過ごしました。1973年 5月26日、静かに息を引き取りました。墓所は東京都品川区の長応寺にあります。

ペンネーム「凹天」の読みについて

下川凹天のペンネームは、「へこてん」と「おうてん」の二通りの読み方が存在し、研究者の間でも意見が分かれています。初期の資料や研究者の証言によれば「へこてん」と呼ばれていたとする説や、逆に初期は「おうてん」と呼ばれ、ある出来事を機に「へこてん」に改めたとする説、あるいは読み方が固定されず混在していたとする説などがあります。現在でも、どの読み方が正しい、あるいは一般的であるかについては定説がなく、文脈や資料によって使い分けられています。

下川凹天は、短期間ではありましたが日本アニメーションの歴史に確かに足跡を残し、また長きにわたり新聞漫画家として多くの読者に親しまれた、日本の大衆文化史において見逃すことのできない重要な人物です。彼のアニメーション作品のフィルムは現在ほとんど現存していませんが、そのパイオニアとしての功績は今日まで語り継がれています。

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