並河靖之

並河靖之：近代七宝の巨匠とその軌跡

並河靖之（なみかわやすゆき、1845-1927）は、明治時代の日本を代表する七宝家として知られています。京都を拠点に活躍し、近代七宝の基礎を築いた一人と言えるでしょう。特に、有線七宝という技法にこだわり続け、その精緻な技術と美しい色彩で、国内外から高い評価を得ました。ライバルであった濤川惣助と共に「二つのナミカワ」と称されるほど、その名は広く知れ渡っていました。

生い立ちと七宝との出会い

並河靖之は、川越藩士の高岡九郎左衛門の三男として京都で生まれました。幼少期から動物好きで知られ、本能寺の馬場へ通っていたという逸話も残っています。11歳の時に並河家の養子となり、家督を継ぎました。その後、久邇宮朝彦親王に近侍として仕え、親王に仕える傍ら、様々な事業を試みるも、全て失敗に終わります。

七宝制作を始めたきっかけには諸説ありますが、明治初期、京都で盛んになりつつあった七宝制作に、親王の側近や周囲の人物からの勧めで携わるようになったとされています。当初は資金難に苦しむも、妻の持参金と仲間との協力で工房を設立。最初の作品「鳳凰文食籠」は朝彦親王への献上品となりました。

しかし、最初の事業はすぐに挫折を味わいます。共同経営者であった桐村茂三郎が職人を連れて独立してしまったのです。それでも並河靖之は諦めず、残った職人達と共に活動を続けました。

飛躍と挫折、そして再起

明治政府の殖産興業政策を背景に、日本の伝統工芸品の輸出が奨励されていました。並河靖之は、京都博覧会やフィラデルフィア万博、パリ万博など、数々の国際博覧会に出品し、高い評価と受賞を重ねます。この成功は、彼に大きな自信と経験をもたらしました。

宮中御用も務めるなど順風満帆に見えた時期もありましたが、その後、外国人商会との取引で大きな挫折を経験します。品質に関するクレームで契約を解除されたのです。この経験は、並河靖之に大きな衝撃を与え、自身の技術力の不足を痛感させました。

しかし、彼は再び東京の博覧会で刺激を受け、技術を磨くために国内外を巡ります。全ての職人を解雇し、少数の若手職人達と共に工房を再建しました。この決断が、彼の七宝制作における大きな転換期となりました。

技術の研鑽と独自のスタイル

二度目の挫折を乗り越えた並河靖之は、技術と表現を磨き上げ、独自のスタイルを確立しました。彼は有線七宝技法にこだわり続け、繊細な金属線と美しい色彩を駆使した作品を数多く生み出しました。

特に、黒色透明釉薬の発明は彼の大きな功績の一つです。この釉薬により、それまでの七宝作品にはない深みと透明感のある黒色が表現できるようになり、作品に新たな魅力が加わりました。

彼の作品には、花鳥風月をモチーフにしたものが多い一方、並河家の家紋である蝶を題材にした作品も多く見られます。

絶頂期と晩年

並河靖之は、数々の賞を受賞し、政府からもその技量が認められ、緑綬褒章や帝室技芸員にも任命されます。工房は拡大し、多くの職人を抱えるまでに成長しました。

しかし、明治末期から大正時代にかけて、人件費の高騰や輸出量の減少により、七宝業界は衰退していきます。並河靖之も、大正12年に工房を閉鎖せざるを得ませんでした。晩年は静かに余生を送り、昭和2年、83歳で生涯を閉じました。

作品の評価と現状

並河靖之の作品は、明治期において世界最高峰の七宝として評価されていました。多くの作品が海外の美術館やコレクターに所蔵されていますが、近年になって国内でも再評価が進み、多くの作品が美術館に収蔵されています。彼の作品は、日本の近代工芸史において重要な位置を占めており、現在も高い芸術的価値を持つものとして評価されています。

代表作

「鳳凰文食籠」
「舞楽図花瓶」
「花鳥文花瓶」
「七宝菊唐草文花瓶」
「黒地四季花鳥図花瓶」
「七宝山水楼閣文香炉」
「桜蝶図平皿」
「藤図花瓶」

並河靖之は、数々の困難を乗り越えながら、独自の七宝技法を確立し、世界に認められる作品を生み出した偉大な芸術家でした。彼の功績は、日本の近代工芸史に燦然と輝き続けています。

もう一度検索