五人廻し
落語の演目である『五人廻し』（ごにんまわし）は、廓噺（くるわばなし）の代表作として広く知られています。この噺は、かつて吉原などの遊廓で行われていた独特の制度「廻し」を主な題材としています。この制度は、一人の遊女が一晩の間に複数の客を相手にするというものでした。
あらすじ
遊廓を訪れる客にとって、「廻し」の制度は必ずしも都合の良いものではありませんでした。指名した遊女が他の客の相手をしている間、客は長時間待たされることになります。また、気に入らない客に対しては、顔を少し見せるだけの「三日月振り」や、全く顔を見せない「空床（からとこ）」「しょいなげ」、あるいは来てもすぐに寝てしまう「居振り（いぶり）」など、様々な不義理がなされることもあり、客にとってはまさに耐え難い苦痛でした。こうした状況から、遊廓内ではしばしば客と従業員の間で揉め事が起こります。これらの客からの苦情や不満を一身に受けて対応にあたるのが、「若い者（わかいもの）」あるいは「妓夫太郎（ぎゅうたろう）」と呼ばれる遊廓の男性従業員たちです。
物語は、吉原のある遊廓で、客と遊女が共に床に入る目安とされる「大引け」（午前2時頃）を過ぎた頃から始まります。若い者は、お目当ての遊女が一向に来ないと文句を言い募る客たちへの対応に追われ、汗だくになりながら奔走しています。
まず、一人目の客は若い者に向かって辛辣な言葉を浴びせかけ、さらには吉原の成り立ちについて長々と語り聞かせた挙句、「ぐずぐずしていると、頭から塩をかけて齧り付いてやるぞ！」と威嚇します。
若い者は、この客が指名している遊女「喜瀬川」を探しに廊下へ出ますが、今度は二人目の客に呼び止められます。この客は薄気味悪い雰囲気を纏った通人で、若い者をねちねちと責め立てます。話は奇妙な方向へ向かい、「遊女の代わりにお前の体を私に貸せ」と迫り、ついには焼けた火箸を背中に押し付けようとする狂気を見せます。若い者は文字通り慌ててその場を逃げ出します。
二人目の客からようやく逃れたかと思うと、すぐに三人目の客に捕まります。この客は威圧的な態度をとる役人で、若い者を「小遣い！」や「給仕！」と乱暴に呼びつけ、様々な苦情を並べます。特に「この勘定書きに娼妓揚げ代とあるが、相手が来ていないのにその代金が払えるか。これは法律違反ではないか！」と、法的な根拠を持ち出して若い者を追及します。
何とか三人目の客からも逃れた若い者の耳に、「若けえ衆さあん、ちょっくらコケコ！」という奇妙な呼び声が聞こえてきます。四人目の客は、若い者も顔見知りの田舎から来た客でした。彼もまた、他の三人と同じように遊女が来ないことへの不満を漏らしますが、やがて感情が高ぶったのか、「ホントにホントにハア。ホントにイヤになりんこ。とろんこ。とんたらハア。トコトンヤレ、トロスク、トントコオ。オウワアイ！」と、意味不明な叫び声をあげて若い者を呆れさせます。
一方で、若い者が必死に探している遊女の喜瀬川は、別の裕福な客（お大尽）と楽しく過ごしていました。若い者からの報告を受けたお大尽は状況を気にかけ、「困ったことになった。私が他の四人の揚げ代を払って帰ってもらったらどうだ」と提案します。すると喜瀬川は、「でしたら、私にもお金をください」と言い、お大尽から金を受け取ります。そしてその金を若い者に渡し、「このお金をあなたにあげるから、その四人の方たちと一緒に帰ってちょうだい」と言い放ちます。これが伝統的なサゲ（落ち）の展開です。
演目とその背景
『五人廻し』は、廓噺の中でも特に代表的な演目の一つとされています。現在一般的に演じられている演出の形は、明治時代末期から大正時代にかけて活躍し、名人と謳われた初代柳家小せん（やなぎや こせん）によって完成されたと言われています。後の落語界を代表する名手たち、例えば六代目三遊亭圓生（さんゆうてい えんしょう）や五代目古今亭志ん生（ここんてい しんしょう）も、この初代小せんから『五人廻し』を学んだとされています。
ただし、演じ方には伝承者による違いも見られます。六代目圓生は、伝統的なサゲがやや地味であると考え、田舎客の叫びの後に「お馴染みの『五人廻し』でございます」と噺を締めくくる終わり方を取り入れました。また、伝統的なサゲにおける五人目の客の代わりに、押入れに隠れて「大変だ、俺の女がいないぞ！天井裏を探せ！」と騒ぎ立てる別の客を登場させるという独自のアレンジも行っています。
この『五人廻し』という噺自体は古く、江戸時代には「七人廻し」といった、より多くの客が登場する演出も存在したようです。また、落語だけでなく歌舞伎にも取り入れられています。たとえば、澤村宗十郎家の十八番である『高賀十種（こうがじっしゅ）』の一つ、『百人町浮名読売（ひゃくにんちょう うきなのよみうり）』（1852年初演）には、「五人廻しの場」として落語の噺がそのまま演じられた記録が残っています。
『五人廻し』を演じるためには、噺家にはかなりの技量が求められます。登場する五人の客は皆個性が強く、一人目の立て板に水のように滑らかな弁舌、二人目のまとわりつくようなねちっこさ、三人目の漢語を交えた独特の可笑しさ、そして四人目の訛りなど、それぞれの人物像を見事に演じ分ける必要があります。さらに、現代には存在しないかつての遊廓の雰囲気や情景を観客にリアルに伝える表現力も不可欠であり、これには高い表現技術と深い理解が求められます。
歴史的な背景として、この演目は太平洋戦争が始まる前の時代に一度上演が禁止されたことがあります。1940年（昭和15年）9月20日、警視庁は『五人廻し』を含む53演目を「卑俗的で低級である」という理由で上演禁止としました。これは、いわゆる「禁演落語」の一つに数えられています。
あらすじ
遊廓を訪れる客にとって、「廻し」の制度は必ずしも都合の良いものではありませんでした。指名した遊女が他の客の相手をしている間、客は長時間待たされることになります。また、気に入らない客に対しては、顔を少し見せるだけの「三日月振り」や、全く顔を見せない「空床（からとこ）」「しょいなげ」、あるいは来てもすぐに寝てしまう「居振り（いぶり）」など、様々な不義理がなされることもあり、客にとってはまさに耐え難い苦痛でした。こうした状況から、遊廓内ではしばしば客と従業員の間で揉め事が起こります。これらの客からの苦情や不満を一身に受けて対応にあたるのが、「若い者（わかいもの）」あるいは「妓夫太郎（ぎゅうたろう）」と呼ばれる遊廓の男性従業員たちです。
物語は、吉原のある遊廓で、客と遊女が共に床に入る目安とされる「大引け」（午前2時頃）を過ぎた頃から始まります。若い者は、お目当ての遊女が一向に来ないと文句を言い募る客たちへの対応に追われ、汗だくになりながら奔走しています。
まず、一人目の客は若い者に向かって辛辣な言葉を浴びせかけ、さらには吉原の成り立ちについて長々と語り聞かせた挙句、「ぐずぐずしていると、頭から塩をかけて齧り付いてやるぞ！」と威嚇します。
若い者は、この客が指名している遊女「喜瀬川」を探しに廊下へ出ますが、今度は二人目の客に呼び止められます。この客は薄気味悪い雰囲気を纏った通人で、若い者をねちねちと責め立てます。話は奇妙な方向へ向かい、「遊女の代わりにお前の体を私に貸せ」と迫り、ついには焼けた火箸を背中に押し付けようとする狂気を見せます。若い者は文字通り慌ててその場を逃げ出します。
二人目の客からようやく逃れたかと思うと、すぐに三人目の客に捕まります。この客は威圧的な態度をとる役人で、若い者を「小遣い！」や「給仕！」と乱暴に呼びつけ、様々な苦情を並べます。特に「この勘定書きに娼妓揚げ代とあるが、相手が来ていないのにその代金が払えるか。これは法律違反ではないか！」と、法的な根拠を持ち出して若い者を追及します。
何とか三人目の客からも逃れた若い者の耳に、「若けえ衆さあん、ちょっくらコケコ！」という奇妙な呼び声が聞こえてきます。四人目の客は、若い者も顔見知りの田舎から来た客でした。彼もまた、他の三人と同じように遊女が来ないことへの不満を漏らしますが、やがて感情が高ぶったのか、「ホントにホントにハア。ホントにイヤになりんこ。とろんこ。とんたらハア。トコトンヤレ、トロスク、トントコオ。オウワアイ！」と、意味不明な叫び声をあげて若い者を呆れさせます。
一方で、若い者が必死に探している遊女の喜瀬川は、別の裕福な客（お大尽）と楽しく過ごしていました。若い者からの報告を受けたお大尽は状況を気にかけ、「困ったことになった。私が他の四人の揚げ代を払って帰ってもらったらどうだ」と提案します。すると喜瀬川は、「でしたら、私にもお金をください」と言い、お大尽から金を受け取ります。そしてその金を若い者に渡し、「このお金をあなたにあげるから、その四人の方たちと一緒に帰ってちょうだい」と言い放ちます。これが伝統的なサゲ（落ち）の展開です。
演目とその背景
『五人廻し』は、廓噺の中でも特に代表的な演目の一つとされています。現在一般的に演じられている演出の形は、明治時代末期から大正時代にかけて活躍し、名人と謳われた初代柳家小せん（やなぎや こせん）によって完成されたと言われています。後の落語界を代表する名手たち、例えば六代目三遊亭圓生（さんゆうてい えんしょう）や五代目古今亭志ん生（ここんてい しんしょう）も、この初代小せんから『五人廻し』を学んだとされています。
ただし、演じ方には伝承者による違いも見られます。六代目圓生は、伝統的なサゲがやや地味であると考え、田舎客の叫びの後に「お馴染みの『五人廻し』でございます」と噺を締めくくる終わり方を取り入れました。また、伝統的なサゲにおける五人目の客の代わりに、押入れに隠れて「大変だ、俺の女がいないぞ！天井裏を探せ！」と騒ぎ立てる別の客を登場させるという独自のアレンジも行っています。
この『五人廻し』という噺自体は古く、江戸時代には「七人廻し」といった、より多くの客が登場する演出も存在したようです。また、落語だけでなく歌舞伎にも取り入れられています。たとえば、澤村宗十郎家の十八番である『高賀十種（こうがじっしゅ）』の一つ、『百人町浮名読売（ひゃくにんちょう うきなのよみうり）』（1852年初演）には、「五人廻しの場」として落語の噺がそのまま演じられた記録が残っています。
『五人廻し』を演じるためには、噺家にはかなりの技量が求められます。登場する五人の客は皆個性が強く、一人目の立て板に水のように滑らかな弁舌、二人目のまとわりつくようなねちっこさ、三人目の漢語を交えた独特の可笑しさ、そして四人目の訛りなど、それぞれの人物像を見事に演じ分ける必要があります。さらに、現代には存在しないかつての遊廓の雰囲気や情景を観客にリアルに伝える表現力も不可欠であり、これには高い表現技術と深い理解が求められます。
歴史的な背景として、この演目は太平洋戦争が始まる前の時代に一度上演が禁止されたことがあります。1940年（昭和15年）9月20日、警視庁は『五人廻し』を含む53演目を「卑俗的で低級である」という理由で上演禁止としました。これは、いわゆる「禁演落語」の一つに数えられています。
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