五月一日経

五月一日経：光明皇后の祈りと、奈良時代の写経文化

光明皇后、藤原安宿媛が、父である藤原不比等と母である県犬養橘三千代の冥福を祈念し、発願した一切経が五月一日経です。光明皇后願経とも呼ばれるこの経典は、天平12年（740年）5月1日の願文の日付に由来しています。現存する経巻の数は膨大で、奈良時代の写経を代表する貴重な遺品と言えるでしょう。

壮大なプロジェクトの始まりと発展

『正倉院文書』によると、五月一日経の制作は天平8年（736年）9月に始まりました。玄昉が唐から持ち帰った経典を底本に、『開元釈教録』に基づき、当初は5048巻を目標としていました。天平12年（740年）4月までに3531巻が完成していたという記録が残っています。同年5月9日には願文が加えられましたが、その後、制作は一旦中断されました。

翌天平13年（741年）閏3月、制作は再開され、今度は願文も本文と共に写経されました。天平14年末には4561巻に達し、さらに天平15年（743年）5月からは、『開元釈教録』に含まれる章疏（仏教書）も写経対象に加えられました。諸大寺や学僧の蔵書を借りるなど、経典収集にも力を入れるようになり、天平勝宝8年（756年）まで続けられ、最終的には約7000巻に及んだと推測されています。

現存する経巻と写経所の変遷

現在、正倉院聖語蔵には750巻、民間には約200巻の五月一日経が伝わっています。『正倉院文書』には写経生たちの名前も記録されており、当時の写経の様子を垣間見ることができます。

五月一日経の写経は、皇后宮職の隅寺・中島にある写経所から始まり、その後、東院写一切経所、福寿寺写一切経所、金光明寺一切経所、そして東大寺写経所へと、場所を移しながら続けられました。他の写経とは異なり、「常写」「常疏」として20年間にわたって継続的に書写された点が大きな特徴です。写経後には校生による校正が行われ、天平勝宝7年（755年）以降は薬師寺、大安寺、元興寺、興福寺などでさらに校勘が行われ、重跋本として伝わっているものもあります。

歴史的意義

五月一日経は、単なる写経の集大成ではなく、光明皇后の深い信仰心と、当時の国家規模の写経事業の盛況を物語る重要な史料です。その制作過程や、現存する経巻の質の高さが、奈良時代の高度な文化水準を示す証拠となっています。また、写経所の変遷や校正の様子など、写経にかかわる様々な情報が記録されている点も、歴史研究にとって貴重な資料となっています。 現在まで伝わる経巻は、当時の仏教文化や社会状況を知る上で、非常に重要な役割を果たしています。 五月一日経は、単なる宗教的遺品ではなく、日本の歴史と文化を深く理解するための貴重な手がかりと言えるでしょう。

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