加賀の千代

加賀の千代（かがのちよ）

落語の演目の一つ。この「加賀の千代」は、昭和二十年代に上方落語家である橘ノ圓都によって創作された比較的新しい噺です。古い俄（にわか）のネタを元にしていると言われています。その後、三代目桂三木助が得意ネタとしたことから、東京でも広く演じられるようになりました。なお、江戸落語にもこれとは内容が異なる同名の噺が存在しましたが、こちらは残念ながら現在では演じられなくなっています。

あらすじ

物語の舞台は年の瀬、大晦日です。現代では日用品の購入はほとんど現金決済ですが、昔は近所同士の買い物では掛売り、掛買いが一般的でした。そのため、一年間の付けを清算する大晦日は、人々が普段以上に気ぜわしく、ぴりぴりしている日でした。そんな年の瀬にも関わらず、借金のことなどどこ吹く風とばかりに、「明日は元日だから凧揚げに行こう」などと呑気なことを言っているのが、この噺の主人公である甚兵衛です。隣でその様子を聞いている女房は、呆れ顔を隠せません。なぜなら、彼らにもまだ支払わなければならない借金が残っているからです。

危機感の薄い甚兵衛は、「じゃあ、死んだふりでもするか」と軽口を叩きます。これを聞いた女房は、去年の大晦日の騒動を思い出し、さらに呆れます。去年も甚兵衛が金策に出かけたかと思いきや、早桶（棺桶）を担いで帰ってきて、「この中に入って死んだふりをするから泣いていろ」と言い出したのです。しかし、当の甚兵衛が早桶の中でくしゃみをしたりおならをしたりするものですから、女房はとても泣く気にはなれません。仕方なく茶碗に茶を入れて目の縁を濡らしていましたが、うっかり茶殻をつけてしまい、訪ねてきた魚屋に「あまり泣かない方がいいですよ、目から茶殻が出てます」と言われてひどく恥ずかしい思いをしました。さらに、大家が香典を出すと言い出し、受け取れないと押し問答していたところ、甚兵衛が早桶から手を出して「受け取っとけ」と言ったため、大家が腰を抜かしてしばらく体調を崩してしまったという、散々な一日だったのです。

そんな昔話をしても借金問題は解決しません。そこで女房は、近所に住む顔なじみの隠居に借金を頼んでほしいと甚兵衛に持ちかけます。しかし甚兵衛は、たびたび借金をしては返していないため、気が引けると言います。女房は、あの隠居さんはお前さんを可愛がってくれているから大丈夫だと説得します。

甚兵衛は「子でも孫でもないのに可愛がるわけがない」と反論しますが、女房は「そんなことはありませんよ」と諭します。そして、犬や猫を膝に抱いたり懐に入れたりする人、植木や朝顔を毎日世話して可愛がる人がいる例を挙げます。特に朝顔の話として、昔、加賀の国に千代という人がいて、井戸に水を汲みに行った際に、朝顔の蔓が釣瓶に巻きついて美しい花を咲かせているのを見て、その朝顔を切るのがかわいそうだと、わざわざ近所の家から水を貰ってきたという故事を持ち出します。そして、その時の情景を「朝顔に 釣瓶取られて 貰い水」という句にしたためた話を語り、「ほら、朝顔だって可愛がる人がいるでしょう？」と甚兵衛を感心させます。

説得された甚兵衛に、女房は手土産として安物の饅頭を持たせます。甚兵衛はこんな安い饅頭は隠居が食べないと言うと、女房は「いいのですよ、これは義理を掛けに行くのですから」とその意図を説明します。

さて、肝心の借金の額ですが、女房は二十円借りてくるように言います。普段一円か二円しか借りていないのに二十円では隠居が驚くだろうと甚兵衛は躊躇します。女房は、実は八円五～六十銭あれば間に合うのだが、もし十円と言って、いつものことだからと半分の五円しか貸してもらえなかったら中途半端になってしまう。二十円なら半分でも十円になる、これが「掛け値」というものだと、商売の駆け引きを甚兵衛に教え込みます。

女房に尻を叩かれ、甚兵衛は隠居の家へ向かいます。隠居は甚兵衛から饅頭を受け取ると、こんな気遣いは無用だと鷹揚に言います。すると甚兵衛は正直に「義理掛けに来ただけです」と噺の楽屋裏をバラしてしまいます。隠居は甚兵衛のこういった開けっぴろげなところが好きなので、苦笑しながらも、どうせ借金に来たのだろうと先回りして言ってしまいます。

「また当たった」と言う隠居に、甚兵衛は「当て物してるんじゃないですよ」と返しつつ、二十円借りに来たと伝えます。ところが隠居は全く驚きません。甚兵衛は驚かせようとしますがうまくいかず、隠居が「驚かなきゃいけないのかい？じゃあもう一度言ってみなさい」と言えば、甚兵衛は「驚くなよ、二十円だぞ！」と叫び、隠居は棒読みで「ああ、驚いた」と返します。甚兵衛は「ほら、驚いた！」と得意げですが、隠居は「お前さんが驚けって言ったんじゃないか」と突っ込みます。

女房の筋書きでは半分（十円）を貸してくれるはず、と思っていた甚兵衛でしたが、隠居がすんなり二十円を出そうとしたため、甚兵衛はかえって戸惑います。「そうじゃないんですよ、隠居さん」と言い、金額が少なかったのかと思い込んだ隠居が、百二十円、果ては二百二十円まで出そうとするので、甚兵衛は慌てて止めようとします。「終いには怒りますよ」と慌てる甚兵衛に、隠居は「いいんだよ、いくらでも貸してあげるから」と、下働きの者に本家から金を用意するよう指示しようとします。

たまらず甚兵衛は、女房から聞かされた本当の事情を白状します。八円五～六十銭あれば足りるが、掛け値で二十円と言えば半分でも十円になり都合が良い、という女房の「掛け値」の理論をそのまま語ります。その際、「帯に長し襷に長し」と言い間違え、隠居に訂正されます。隠居は甚兵衛の話を聞いて、女房の知恵に感心し、結局十円を貸してくれることになります。

金を借りて用が済んだ甚兵衛は、現金なものでそそくさと帰ろうとします。「ああ、ありがとう。やっぱり朝顔だ」と呟く甚兵衛に、隠居は「何だい？朝顔って？」と尋ねます。甚兵衛は「いやね、『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』だって。それじゃ、さようなら」と言って帰って行きます。隠居は「現金な奴だな、金を受け取った途端にさようならかい」と呆れつつ、「朝顔に 釣瓶取られて 貰い水」という句を聞いて、どこかで聞いた句だと思い巡らせます。そして、「ああ、加賀の千代か」と作者を思い当たります。

すると、遠ざかりかけた甚兵衛が振り返り、「ううん、嬶（かか）の知恵」と言って噺は終わります。

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