国冬本源氏物語

国冬本源氏物語：複雑な歴史を持つ貴重な源氏物語写本

国冬本源氏物語は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて成立した源氏物語の写本です。歌人としても知られた住吉大社の神主、津守国冬（1270-1320）が書写したとされる写本群を中心として構成されており、その複雑な歴史と本文の特異性から、源氏物語研究において重要な位置を占めています。

写本の構成と特徴: 国冬本は、鎌倉時代末期に書写されたとされる12巻と、室町時代末期に14人の筆者によって書写されたとされる42巻の、計54巻からなる大部の写本です。しかし、その成立過程には謎が多く残されています。現在、天理大学天理図書館に所蔵されているこの写本は、複数の写本を合冊したものであり、18か所にも及ぶ錯簡（巻の順番が入れ違っていること）や、大小様々な欠損が存在しています。例えば、「匂ふ兵部卿」の巻は実際には「夕霧」の後半部分であり、「匂宮」の内容は欠落しているなど、本文の構成に大きな混乱が見られます。このような錯簡は、「一度バラバラにされた写本を、内容を確認せずに再び綴じ直した」と推測されるほどで、その成立過程の複雑さを物語っています。

伝来と調査: 国冬本の伝来については、いつ、どのような経緯で複数の写本群が合冊されたのかは不明です。しかし、現存する写本は、江戸時代の特徴を示す豪華な装丁が施されており、この時代に嫁入り道具としてまとまったと考えられています。昭和初期には池田亀鑑の桃園文庫に収蔵され、『源氏物語大成』にも一部の巻が収録されました。その後、天理大学天理図書館が所蔵するようになり、岡嶌偉久子氏による詳細な調査によって、その全容が解明されました。2023年には国の重要文化財に指定され、その価値が改めて認められています。

本文の系統と特徴: 国冬本は、青表紙本や河内本といった主要な系統とは異なる、別系統の本文を持つとされています。しかし、全ての巻が別系統であるわけではなく、「若菜上」は青表紙本、「若菜下」は河内本に分類されるなど、様々な系統の本文が混在しているのが特徴です。これは、写本が複数の系統の本文を基に編纂されたことを示しています。また、平安時代末期の国宝『源氏物語絵巻』の絵詞と類似する部分も指摘されており、その成立過程に古くからの伝承が関わっている可能性も考えられます。

特に、鈴虫巻においては約500字に及ぶ長文の異文が見つかるなど、青表紙本や河内本と比較して多くの特徴的な異文が見られます。これらの異文は、近年の源氏物語研究において活発に議論されており、本文の成立過程やテキスト変遷を解明する上で重要な手がかりとなっています。室町時代の注釈書『河海抄』には、桐壺巻について「従一位麗子本」の流れをくむと記されており、平安時代の著名な写本との関連も示唆されています。

その他の国冬本と翻刻: 津守国冬が書写したとされる他の源氏物語写本も存在します。朝顔巻、薄雲巻などが天理大学天理図書館に所蔵されている他、前田家にも伝わる写本があります。国冬本全体の翻刻は、『本文研究』（和泉書院）で順次刊行されていますが、全巻の翻刻が完了しているわけではありません。また、『源氏物語大成』や『源氏物語別本集成』にも、国冬本の本文が収録されていますが、これらの刊行物でも全巻を網羅しているわけではありません。国冬本は、その複雑な成立過程や本文の特異性から、今後の研究によってさらに多くの知見が得られることが期待される、貴重な資料と言えます。

参考文献:
保坂都「国冬」『津守家の歌人群』武蔵野書院、1984年
伊藤鉃也・岡嶌偉久子による『本文研究』シリーズ（和泉書院）

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