土佐のほっぱん

かつて高知県南西部の太平洋沿岸、現在の幡多郡黒潮町伊田にあたる地域で、夏季に限定的に発生した風土病に「土佐のほっぱん」がある。この病名は、当地で赤い発疹を指す方言に由来する。「ほっぱん」の正体は長らく不明であったが、1951年に寄生虫学者の佐々学氏の調査によって、新種のツツガムシであるトサツツガムシ（学名：Leptotrombidium tosa）が媒介するツツガムシ病であることが明らかになった。同様の病因で香川県に存在した馬宿病と合わせて、「四国型ツツガムシ病」とも称される。

病状と当時の認識

伊田地区という約100戸ほどの極めて狭い地域で発生したため、記録上の患者数は多くない。しかし、その病状は非常に重篤であった。前触れなく突然の高熱に見舞われ、やがて全身に赤紫色や赤色の発疹が数多く現れる。発病からわずか数週間で半数以上が死亡に至るという、極めて高い致死率を示した。原因不明の発熱と発疹、そして高い死亡率という奇怪な症状から、古くから地域住民の間では、名主の祟りによるものと信じられ、深く恐れられていた。

病態解明への道のり

原因不明の熱病として

1951年6月、当時東京大学助教授で伝染病研究所に勤務していた寄生虫学者の佐々学氏は、高知県庁からの公衆衛生に関する講演依頼を受け、高知を訪れる機会を得た。以前から、佐々氏は高知県に原因不明の熱病が存在するという情報を得ており、それが未知のツツガムシ病である可能性に関心を抱いていた。今回の出張を機に、現地を訪れて実態を調査することを決意する。

病気が報告されていたのは、高知県南西部の幡多郡白田川村伊田（現在の黒潮町伊田）という海沿いの小さな集落であった。当時の伊田地区は、山地が海岸近くまで迫る地形の中に、わずかな平地に家屋が密集し、海に向かって流れる小さな川と芋畑が点在する場所であった。従来のツツガムシ病は、秋田や新潟といった北日本の大河川沿いの草原地帯で発生するというのが一般的な認識であり、伊田のような地理的、気候的に大きく異なる場所でツツガムシ病が発生するのか、佐々氏は疑問を感じていた。

古老の記録と伝承

伊田地区に到着した佐々氏らは、地元で「ほっぱん」罹患経験者に聞き取り調査を試みる中で、古老の沢田文五郎氏を紹介される。沢田氏は、佐々氏らに伊田地区に古くから伝わる「名主の祟り」の伝承を語った。地域の人々は、この祟りによって「ほっぱん」という奇妙な病気が流行し始めたと聞いていた。

沢田氏は長年この病に関心を寄せ、可能な限り患者の記録を残していた。彼が持っていた古い手帳、後に「沢田メモ」と呼ばれることになる貴重な記録には、1919年から1948年までの約30年間に発生した10例の患者の記録が詳細に記されていた。発症年月、年齢、性別、そして病気の経過などが克明に記録されており、いずれも夏季（7月から8月）に発症し、半数以上が死亡するという高い死亡率を示していた。

さらに沢田氏は、自身が何度も患者を見舞い、症状を観察してきた経験から、「ほっぱん」には共通の特徴があることを語った。特に、発疹が出た後にそれが「かさぶたになって塞がったような痕」になることを聞いた佐々氏らは、これこそがツツガムシ病に特徴的な「刺し口」（eschar）であると確信するに至った。

生存者の確認と科学的証拠

佐々氏らは沢田氏の案内で、「ほっぱん」から回復した生存者を訪ねた。その中には、1942年の堤防工事で罹患した女性で、3人中ただ一人助かったという人がいた。彼女のへそを調べると、明確な「刺し口」の痕跡が確認された。また、沢田メモには記載されていないものの、3年ほど前に罹患して回復した15歳の少年も訪ねた。彼の左腋近くの胸部にも、明瞭な痕跡が残っていた。

これらの臨床所見から、病気がツツガムシ病である可能性は極めて高まった。しかし、科学的な証明には、生存者の血液からツツガムシ病に対する抗体を確認すること、そして地域に生息するツツガムシがリケッチアを保有していることの二点が不可欠であった。

佐々氏らは生存者から血液を採取し、持参した顕微鏡でワイル・フェリックス反応による血清の凝集反応を調べた結果、ツツガムシ病に陽性を示すプロテウス属のOX-K株に対する反応を確認した。続いて、媒介者であるツツガムシの探索を開始した。リケッチアを媒介するツツガムシの幼虫は、ノネズミなどの耳に寄生することが多い。佐々氏らは、伊田地区の民家や畑、河川敷などにネズミ捕りを仕掛けた。

新種トサツツガムシの発見

翌朝、仕掛けられた罠から数頭のネズミが捕獲された。これらのネズミを慎重に調べた結果、ドブネズミの耳の中に、薄ピンク色のツツガムシが肉眼でも確認できるほど寄生しているのが見つかった。採取されたツツガムシは合計112匹に上った。

しかし、このツツガムシを顕微鏡で観察したところ、佐々氏をはじめとする同行の専門家たちにとっても見慣れない種類であった。その後の詳細な調査により、これまでに日本で報告されていない新種のツツガムシであることが判明し、佐々氏によってトサツツガムシ（Leptotrombidium tosa）と命名された。

新種ツツガムシの発見は重要な一歩であったが、それが病気を媒介していることを証明するには、リケッチアを保有しているか否かを確認する必要があった。これは専門の研究施設での詳細な検査を要するため、現地で即座に確認することは不可能であった。佐々氏は、トサツツガムシが寄生したドブネズミを現地で解剖し、その脾臓をすり潰して実験用マウスに注射するという処置を行い、サンプルとともに東京へ戻った。

リケッチアの証明と「ほっぱん」の正体特定

東京に戻った佐々氏は、伊田地区で採取したサンプルを、伝染病研究所のリケッチア研究者である川村明義氏（日本のツツガムシ病研究の大家、川村麟也氏の三男）に検証を依頼した。川村氏は、父と同じ道を志し、自身もリケッチア感染から回復した経験を持つ、当時の日本のリケッチア研究の第一人者であった。

川村氏による綿密な検証の結果、トサツツガムシの幼虫からリケッチアが検出された。これにより、「土佐のほっぱん」の正体が、新種トサツツガムシを媒介とするツツガムシ病であることが科学的に証明された。

病態解明から約2ヶ月後、佐々氏らは再び高知県を訪れ、海岸部各地でツツガムシの生息調査を行った。その結果、トサツツガムシは高知県の海岸線に広く分布していることが判明した。しかし、発症例は依然として伊田地区以外では確認できなかった。

馬宿病と広がる認識

ほぼ同時期に、香川県大川郡相生村馬宿（現在の東かがわ市馬宿）でも、夏季に「馬宿病」と呼ばれる同様の熱病が発生していることが報告されていた。香川県衛生研究所の調査で、この地域からもトサツツガムシとリケッチアが発見され、馬宿病もまた新型ツツガムシ病であることが確認された。佐々氏もこの報告を受けて現地を訪れている。

馬宿病の患者記録を見ると、1931年から1952年までの間に18名の罹患者がおり、うち7名が死亡していた。生存者のうち、1950年以降に罹患した8名は、当時普及し始めたテトラサイクリン系抗生物質の投与によって回復していたが、治療を受けていない患者では「土佐のほっぱん」と同様に高い死亡率を示していた。

これらの発見により、「土佐のほっぱん」と「馬宿病」は、トサツツガムシが媒介する「四国型ツツガムシ病」として認識されるようになった。そして、ツツガムシ病が秋田、山形、新潟の三県特有の風土病であるという従来の医学界の常識は覆され、その他の地域でも発生しうる疾患であるという認識が、医療関係者や研究者の間で広まる契機となった。

ダニ媒介性感染症研究への影響

「土佐のほっぱん」の解明に先立ち、1948年には富士山麓で米兵に発生した原因不明の発熱が、タテツツガムシ媒介のツツガムシ病であることが判明し、研究者たちに大きな衝撃を与えていた。そこに「土佐のほっぱん」「馬宿病」という新たなツツガムシ病が発見されたことは、日本のダニ媒介性感染症研究を大きく推進する出来事となった。特に、致死率の高い新型ツツガムシ病の存在が明らかになったことは重要であった。

この頃から、日本各地に生息する多様なツツガムシの研究が積極的に行われるようになった。その結果、伊豆諸島の七島熱や、房総半島南部、静岡県藤枝市周辺の二十日熱など、これまで原因不明とされていた複数の熱病がツツガムシ病であることが次々に明らかになった。ツツガムシが日本全国に広く生息していることが認識され、感染頻度は低いものの、ツツガムシ病が特定の地域だけでなく、日本国内であればどこでも感染する可能性のある疾患であるという認識が一般化した。

こうして、従来の秋田・山形・新潟でアカツツガムシが媒介するツツガムシ病は「古典型ツツガムシ病」として、そして1950年代頃から各地で確認され始めた、それ以外のツツガムシが媒介するツツガムシ病は「新型ツツガムシ病」として区別されるようになった。その後も研究は進み、様々な種類のツツガムシが媒介するリケッチアの血清型分類が進められ、致死率の違いが血清型に由来することが明らかになるなど、日本のツツガムシ・リケッチア研究は大きく発展した。さらに、マダニが媒介する日本紅斑熱（1984年発見）や、SFTS（2012年国内初確認）など、ダニ媒介による新たな感染症の発見にも繋がっている。

その後の「四国型ツツガムシ病」

「土佐のほっぱん」の病態解明後、高知県での四国型ツツガムシ病の発生報告は1950年代に数件あったものの、1980年頃からは香川県の事例も含めて新たな発生は確認されていない。現在、四国で発生するツツガムシ病は、タテツツガムシやフトゲツツガムシが媒介する比較的軽症なタイプが中心となっている。

「土佐のほっぱん」の解明という、日本のダニ媒介性感染症研究における重要な一歩を記した佐々学氏は、その後も寄生虫学の研究を続け、東京大学教授などを歴任し、2006年に90歳で逝去した。彼は自身の著書の中で、「土佐のほっぱん」の調査経験から、フィールドワーク、すなわち先入観を持たずに現場に足を運び、当地の人々や自然環境を深く理解することの重要性を強調している。

近年、四国における夏季のツツガムシ病発生やトサツツガムシの生息情報はほとんど報告されていない。しかし、2014年に香川県の馬宿地区近隣で行われた調査で、わずか1匹ではあるがトサツツガムシが採取された事例がある。この確認は、四国型ツツガムシ病の発生が激減した現在においても、トサツツガムシ媒介による感染リスクがゼロではないことを示唆していると言える。

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