塩沢由典

塩沢由典：新古典派均衡理論批判の先駆者と複雑系経済学の提唱者

塩沢由典氏は、1943年長野県塩尻市生まれの日本の経済学者です。大阪市立大学名誉教授、中央大学商学部教授などを歴任しました。数学を専攻した後、フランス留学を経て経済学へ転向するという異色の経歴を持ちます。

学術的業績

塩沢氏の研究は、一貫して新古典派均衡理論への批判を基軸としています。従来の経済学が複雑さを軽視してきた点を問題視し、経済システムを「大規模な複雑系」と捉える複雑系経済学を提唱しました。これは、経済主体が持つ「視野の限界」「合理性の限界」「働きかけの限界」という3つの制約から出発する、独自の理論体系です。

この3つの限界は、人間の意思決定における認知的制約を反映しており、ハーバート・サイモンの「限定合理性」と関連する概念です。しかし、塩沢氏の枠組みでは、視野と合理性の限界を明確に区別し、さらに計算不可能性という新たな要素を加えています。これは、計算不可能な問題が存在するという意味だけでなく、計算時間は膨大になり、実際上解けない問題も含まれることを示唆しています。

このような人間的制約を考慮すると、経済行動は最適化ではなく、定型行動やプログラム行動となるという塩沢氏の主張は、経済学の根底にある前提を問い直すものです。しかし、こうした定型行動が有効性を発揮できるのは、経済システムが「ゆらぎのある定常性」「ゆるい連結」「生存のゆとり」といった特徴を持つからだと説明しています。

現代古典派経済学

塩沢氏は、リカードやスラッファの古典経済学の伝統を現代の課題に合わせて発展させようとしています。価格理論においては、マークアップによるフルコスト価格付けを重視し、需要供給の理論（価格を独立変数とする需要関数・供給関数の交点で価格と数量が決まるとする理論）を批判しています。企業は設定価格で売れるだけ売る行動を取り、これがケインズの有効需要の原理を企業レベルで捉えたものだと主張します。このアプローチは、「現代古典派経済学」と呼ばれています。

均衡理論批判とミクロ・マクロ・ループ

新古典派均衡理論の根幹をなす需要関数と供給関数の存在自体を、塩沢氏は厳しく批判します。需要関数の存在には、消費者が予算制約下で効用を最大化する必要があるが、これは計算量の観点から現実的には不可能であると指摘します。供給関数についても、企業が常に利潤を最大化する生産量を保有しているという仮定が、現実の企業行動とは乖離していると批判します。

塩沢氏は、社会科学の方法論として「ミクロ・マクロ・ループ」を提唱しています。これは、ミクロの主体行動がマクロな経済現象を生み出し、そのマクロな環境が再びミクロの行動を制約する循環過程を示す概念で、方法論的個人主義や全体主義を超えるアプローチです。この概念は、人工市場論やエージェント・シミュレーション、進化経済学の方法論としても重要視されています。

進化経済学、国際貿易論、地域経済論

塩沢氏は、進化経済学においても独自の貢献をしています。進化の基体として「保持子」という概念を提唱し、これはオルドリツジや藤本隆宏らの研究にも影響を与えています。

国際貿易論では、リカード・スラッファ貿易論を構築し、『リカード貿易問題の最終解決』で従来の国際貿易理論では説明できなかった貿易摩擦や賃金格差を扱える理論体系を提示しました。

地域経済論においては、『関西経済論』で、地域経済発展の原理として都市の重要性を強調し、「一日交流圏」という概念を用いて地域経済規模を分析しています。

複雑系経済学とコンピュータ・シミュレーション

塩沢氏は、1985年頃から複雑系が経済学を革新する鍵になると考えており、複雑系経済学の確立に大きく貢献しました。また、コンピュータ・シミュレーションを「第三の科学研究法」として位置づけ、エージェント・シミュレーションの重要性を強調しています。

評価と批判

塩沢氏の研究は、多くの支持者を得ている一方、強い批判にもさらされています。主流派経済学からの批判としては、塩沢氏の理論が主流派経済学を過度に単純化しているという指摘があります。また、マルクス経済学の立場からの批判では、新古典派の方法論を否定することで、マルクス経済学の発展の可能性を閉ざしているとの指摘もあります。しかし、これらの批判は、塩沢氏の理論の革新性と、既存経済学への挑戦を同時に示すものでもあります。塩沢氏の研究は、経済学の未来像を模索する上で、重要な議論を提供し続けています。

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