天草崩れ

天草崩れとは

天草崩れとは、江戸時代後期に肥後国天草郡で発生した、隠れキリシタンの検挙事件です。この事件は、地域住民が「異宗」と呼ぶ独自の信仰を持っていたことが発覚し、その信仰がキリスト教（キリシタン）と関連があるのではないかと疑われたことから始まりました。この一連の出来事は、単なる宗教弾圧の事件としてだけでなく、当時の社会構造や民衆の信仰形態を理解する上で重要な手がかりとなります。

事件の背景

島原の乱後、幕府はキリスト教を厳しく禁じ、絵踏や宗門改めを徹底しました。天草地方にも禅宗や真言宗、浄土真宗の寺院が建立され、住民は寺請制度によっていずれかの宗派に所属することになりました。しかし、下島の一部ではキリシタンが潜伏し続けており、1718年頃には幕府側もその存在を察知して監視を強めていました。

島原の乱後の人口激減を受け、幕府は各藩に天草・島原への農民移住を命じました。これにより、天草諸島の人口は1643年の約5000人から1659年には16000人に増加、1805年には12万人、1829年には14万人へと急増しました。天草は、1783年以降島原藩が預地として統治していましたが、島原藩は以前から天草における宗教活動を察知しており、1799年頃には「切支丹宗門ニ附申渡」という触を発布するなど、内密に「異宗」の探索を進めていました。

キリシタンの発覚

1805年3月、大江村、﨑津村、今富村、高浜村などの天草下島西目筋の村々で、一斉にキリシタンの嫌疑による検挙が行われました。5200人もの村民が嫌疑をかけられましたが、彼らはキリシタンであることを否定しました。このキリシタン探索を主導したのは、今富村の庄屋である上田演五右衛門でした。演五右衛門は、島原藩の意向を受けて村内を探索し、その結果を詳細に報告していました。

同時期に、長崎奉行から島原藩に対して天草の「異宗」についての問い合わせがあったという噂が広まりました。長崎奉行がこの問題に関心を示していることを知った島原藩は、奉行から仕置不行届を咎められる前に、1804年10月に天草の「異宗」の存在を認め、幕府に今後の対応について伺いを立てました。

信徒の吟味

各村の信徒の割合は、大江村・崎津村・今富村で約5-7割、高浜村では一部落に限られていました。吟味は、﨑津諏訪神社で行われました。信者たちは「あんめんりゆす（アーメン デウス）」と唱えていたという証言が記録されています。島原藩は吟味を進める上で、一揆を誘発することを最も恐れていました。そのため、信徒の行動として逃散、徒党を組む、信仰を否定するなどの可能性を考慮し、吟味を受け入れる場合は寛大に対応するが、そうでなければ強硬な手段を取る方針を示しました。

また、島原藩は、島原の乱が百姓の生活困窮に起因するという認識から、天草の減免を幕府に願い出ています。当時、天草では徳政令を求める運動が断続的に展開されており、「異宗」を基盤とした一揆発生を警戒していた藩は、百姓に丁寧に利害を説きながら吟味を進めました。

摘発された村民たちは、宗教活動の存在を認め、「異物（異仏）」や貨幣、刀の目貫、鏡などを信仰用具として提出しました。彼らは、自分たちの宗教は先祖代々伝えられてきた「異宗」または「異法」であると主張し、太陽神である「ていうす様（デウス）」を拝み、呪文のような祈り文句を唱えていたと証言しました。また、先祖伝来の「マルヤ様」を拝む習慣があったと証言する者もいました。しかし、「マルヤ様」を拝んでも不幸せになるのは、異仏を信仰した罰ではないかと考える者もいました。彼らは、宗教上の問題があるとは気づかず、先祖伝来の習俗として信仰していたと主張しました。

事件の決着

1806年8月、幕府は、彼らが「異宗信仰者」であって「切支丹」ではないと認定しました。最終的に、被疑者に対して改めて踏み絵をさせ、「異宗」回心の誓約に押印させることで赦免しました。この措置は、事件の拡大を避け、反発による一揆を警戒し、対応遅延を隠蔽するため、また、当時のキリシタン像と潜伏キリシタンたちの姿が乖離していたため、彼らの信仰をキリシタンではなく「異宗」として位置づけたと考えられています。

事件後、「異宗」を改宗して許された者は「異宗回心者」と呼ばれました。彼らの中には、明治時代に教会の指導のもとでキリスト教徒になった者もいました。

天草の潜伏キリシタンの組織

大江村と今富村の吟味調書には、信徒の組織に上組と下組という二つの組織があったと証言されています。上組と下組では暦法に若干の違いがあるものの、それぞれが複数の村にまたがる組織であったと考えられています。ただし、﨑津村と高浜村の組織については詳細が不明です。この組織の存在が、長期にわたるキリシタンの集団潜伏を可能にした条件の一つであったことは確かです。

天草住民の牛肉食

天草崩れの発端となったのは、1803年末に起こった2件の牛の屠畜事件でした。信徒たちは「異宗」の祭礼で牛肉や魚肉を使用したと証言しました。1812年にも、牛肉食をしたとして「異宗回心者」が吟味を受けましたが、これは薬喰（くすりぐい）であったと報告されました。

今富村村方騒動

天草崩れの6年後、今富村では「合足組」という集団が庄屋・上田演五右衛門の免職を要求する騒動が起こりました。この「合足組」は、天草崩れの「異宗回心者」が中心になって組織されていました。演五右衛門は「異宗」探索の中心人物であったため、この騒動は報復行為であると見られていました。しかし、実際には「異宗回心者」以外の者も参加しており、村政改革による村民の負担増が騒動の背景にあったとされています。

まとめ

天草崩れは、江戸時代後期の天草における隠れキリシタンの存在と、その信仰形態を明らかにする上で重要な事件です。この事件は、幕府のキリスト教弾圧政策、民衆の信仰、そして地域社会の構造が複雑に絡み合った結果として起きたものであり、単なる宗教弾圧の歴史としてだけでなく、当時の社会構造や民衆の生活、意識を理解する上で重要な資料となっています。

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