奇網

奇網（きもう、Rete Mirabile）

奇網（きもう、ラテン語: rete mirabile、複数形 retia mirabilia）は、脊椎動物の体内に見られる特別な血管構造です。「驚異的な網」という意味を持つこの構造は、多数の細動脈と細静脈が互いに非常に密接に並び、血管内の血流が互いに逆方向になるように配置されています。この独特の配置は「対向流交換系」として機能し、血管壁を介して熱、イオン、気体といった物質を非常に効率的に交換することを可能にしています。

様々な生物における機能

奇網は、動物の種類やその生息環境に応じて、生存に不可欠な多様な生理機能に関わっています。

鳥類

水かきを持つ水鳥類では、脚部に奇網が存在します。これは、体幹から流れる温かい動脈血と、冷たい水に触れて温度が下がった末端部から戻る静脈血の間で熱交換を行うことで、脚の温度を周囲の水温に近づけ、体温が外部に逃げるのを防ぐ仕組みです。ペンギンでは、脚だけでなくフリッパーや鼻腔にも奇網が見られ、同様に体温調節に役立てられています。

魚類

魚類では、奇網は主に二つの重要な役割を果たします。

一つは、鰾（うきぶくろ）における浮力調節です。鰾のガス腺から分泌される乳酸が周囲の静脈血のpHを低下させると、ヘモグロビンから酸素が遊離し、炭酸水素イオンが二酸化炭素に変化します。これらの気体は奇網を介して動脈血中へ効率的に拡散し、ガス腺を経て鰾内へ放出されることで、魚は水深に応じて浮力を細かく調整できます。

もう一つは、高速で遊泳するマグロなどの魚類に見られる、筋肉の温度を局所的に高める機能です。これにより筋肉の代謝率が向上し、長時間にわたって大きな遊泳力を発揮することが可能になります。

哺乳類

哺乳類における奇網構造は、さらに多様な部位と機能に関連しています。

腎臓においては、傍髄質（ぼうずいしつ）と呼ばれる領域にある糸球体の輸出細動脈にこの構造が見られます。この部位は腎臓の髄質を高張性に維持するために不可欠であり、尿細管からの水分の再吸収を最大限に促し、尿を濃縮して体からの水分損失を最小限に抑える役割を果たします。

多くの哺乳類の四肢にも血管性の奇網が存在します。これは、四肢の温度を意図的に下げることで全身の代謝率を抑えたり、冷たい環境での熱損失を防いだりするために機能します。特に、穴居性、樹上性、水生といった特定の生活様式を持つ動物で顕著に見られます。ナマケモノ、ロリス、アリクイなど、樹上をゆっくり移動する動物では、四肢の奇網が高度に発達し、「血管束（vascular bundle）」と呼ばれる特徴的な構造を形成しています。

イヌやヒツジなどの後頭部にも奇網があり、脳に供給される血液と、パンティング（あえぎ呼吸）などで冷却された血液との間で熱交換を行うことで、高熱から脳を保護しています。また、精巣の温度を下げることで精子の生産能力を高めるためにも利用されており、これは特に有袋類で発達しています。

歴史的な背景

古代ギリシャの医師ガレノスは、ヒツジの脳に存在する奇網とヒトの頚動脈洞を混同し、ヒトの脳にも重要な奇網があると考えました。しかし、ルネサンス期には、ヤコポ・ベレンガリオ・ダ・カルピやアンドレアス・ヴェサリウスといった解剖学者たちの研究により、ヒトにはガレノスが説いたような脳の奇網は存在しないことが明らかになり、その誤りは訂正されました。

このように、奇網は「驚異的な網」という名の通り、生物がそれぞれの環境に適応し、多様な生理機能を効率的に実現するための、巧妙かつ重要な構造なのです。

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