安宅産業破綻

安宅産業破綻とは

「安宅産業破綻（あたかさんぎょうはたん）」は、かつて日本の主要な総合商社の一つであった安宅産業が、1975年に経営危機に陥り、最終的に解体された一連の出来事を指します。

事態の直接的な引き金となったのは、カナダにおける石油精製プロジェクトの失敗でした。この事業で発生した巨額の不良債権が、安宅産業の経営基盤を揺るがしました。当時、第一次オイルショック後の景気後退期にあたり、安宅産業のような大企業の破綻が金融システム全体の不安を引き起こす可能性があったため、政府や日本銀行、主要銀行が一体となって事態の収拾に乗り出しました。その過程は、日本の官民総出の取り組みとして「“日本株式会社”の総力戦」や、困難な処理から「安宅産業の生体解剖」とも呼ばれました。約2年間に及ぶ混乱を経て、1977年10月1日、安宅産業は伊藤忠商事に吸収合併される形で幕を閉じました。

NRC事業の失敗

安宅産業の危機は、子会社である安宅アメリカが関与した、カナダのニューファンドランド島での石油精製プロジェクトに端を発します。1967年、安宅アメリカ社長は、リチャード・ニクソン周辺にも人脈を持つ米国人実業家ジョン・M・シャヒーンによる石油精製工場建設計画を知ります。社内で立場が危うくなっていたこの社長は、この大規模プロジェクトに関わることで業績を上げ、状況を打開しようとシャヒーンに接近しました。

当時の安宅産業は、十大総合商社の中で売上高において後塵を拝しており、これを挽回したいという思いが社内にありました。売上規模を拡大しやすい石油取引は、そのための手段の一つと考えられました。1973年6月、安宅産業の常務会は、安宅アメリカがNRC（ニューファンドランド・リファイニング・カンパニー）の総代理店となり、信用状を開設して原油代金を保証し、さらに6,000万ドルの与信枠を設定することを承認します。計画では、安宅アメリカがNRCの代理としてBP（ブリティッシュ・ペトロリアム）から原油を購入し、NRCに供給、代金を回収するというものでした。社内には慎重論もありましたが、プロジェクトは動き出しました。

しかし、開所式の直前に勃発した第四次中東戦争が状況を一変させます。原油価格は高騰し、アラブ産油国の意向で有力な販売先（ユダヤ系企業）との取引が不可能となるなど、販路が縮小しました。さらに、精製プラントの不具合による生産性の悪化や、高額な傭船契約を結んだタンカーの稼働率低下といった問題が重なり、NRCの資金繰りは急速に悪化しました。

危機表面化と銀行の介入

1974年に入り、高木社長の後任として安宅アメリカ社長に就任した人物は、前任者が独断で結んでいた「補助契約書」を発見します。その内容は、安宅アメリカがNRCに4,000万ドルを無担保で貸し付け、返済期限を1985年とするという、安宅側に著しく不利なものでした。本契約も確認したところ、十分な担保設定がなされておらず、特定の条件下では代金支払いが免除される可能性のある条項まで含まれていました。

危険性を報告したものの、プロジェクトは止められず、逆に原油価格高騰を理由にNRCへの与信限度額は2億4000万ドルにまで引き上げられます。やがて、安宅からの融資が、そのまま安宅アメリカへの支払いに充てられるという、いわば自転車操業の実態が明らかになります。1975年9月には、安宅がNRC事業に投じた資金は3億ドル（当時の約1,000億円）に達し、危機的な状況は取引銀行にも伝わり始めました。NRCに対する債権保全の試みも失敗に終わり、NRCは1976年3月に破産宣告を受けます。

1975年9月末、安宅産業の財務担当者がメインバンクの一つである住友銀行に対し、NRC問題による経営危機の実態を伝えました。住友銀行は直ちに調査チームを組織し、秘密裏に米国での調査を実施。安宅産業本体が単独で経営を続けることは困難であると判断しました。

11月には、安宅の二つのメインバンクである住友銀行と協和銀行の頭取が日本銀行総裁と会談し、安宅の破綻は阻止しなければならないとの認識を共有。日銀の指導のもと、主要5行による支援体制が構築され、当面の国際的な信用の失墜は回避されました。しかし、12月にはマスコミ報道により安宅の経営危機が広く知られるところとなり、資金ショートが頻発する倒産寸前の状態に陥りました。

合併交渉と破綻処理

安宅のメインバンクは、安宅を救済するため、合併による処理を決断します。1975年12月末、住友銀行は伊藤忠商事に対し、安宅産業との合併を打診しました。当時の伊藤忠商事も不採算事業の整理を進めている最中であり、余裕はありませんでしたが、過去に銀行からの支援を受けた経緯もあり、要請を断りきれませんでした。また、鉄鋼など安宅の優良な商権に魅力を感じていた面もありました。

一方、銀行側は一刻も早く処理方針を固めなければ、他の取引金融機関からの融資引き揚げを招きかねないという焦燥感がありました。伊藤忠との業務提携が発表されますが、当初は合併の可能性を「将来発展することも予想されます」という控えめな表現にとどめました。

合併に向けた準備として、銀行と伊藤忠から安宅に調査チームが派遣されます。伊藤忠の調査により、安宅の累積損失が4,000億円を下らないことが判明し、伊藤忠は合併に及び腰になります。これに対し、住友銀行は伊藤忠を説得し、不採算事業の整理や人員削減といった厳しい処理は銀行主導で行うことで合意。住友銀行出身者が安宅社長に就任するなど、新しい経営陣の下で事業整理が急ピッチで進められました。

安宅の社員の間では、合併後の人員削減への不安が広がり、それまで存在しなかった労働組合が結成され、合併反対や人員整理反対の運動を展開しました。しかし、事態は既に組合の抵抗を超えて進行しており、一枚岩になれなかった組合の活動も実を結びませんでした。

銀行側から伊藤忠に対し合併提案がなされますが、両者の間で引き継ぐ商権の範囲や損失補填のあり方を巡って激しい交渉が行われました。伊藤忠は引き継ぐ商権を厳選しようとし、銀行側はより多くの資産・負債を引き取らせたいと考え、交渉は膠着します。この状況に対し、政府と日本銀行は調停に乗り出し、伊藤忠に合併を進めるよう働きかけました。最終的に、伊藤忠は特定の商権を引き継ぎ、それ以外の損失については銀行側が損失補償を行うという紳士協定を結び、1976年12月末に合併の覚書に調印、1977年10月1日の吸収合併が正式に決定しました。

吸収合併後、安宅の不良債権約2300億円は、住友銀行、協和銀行を筆頭とする16行の銀行団が分担して償却しました。また、不動産や美術品、回収困難な債権など、伊藤忠が引き受けない資産は、受け皿会社「エーシー産業」に移管され、銀行団の負担で時間をかけて処理が進められました。

破綻の背景にある要因

安宅産業破綻の背景には、NRC事業の失敗以外にも複数の要因が複合的に絡み合っていました。

多角化への焦り: 鉄鋼商社として堅実な経営を行っていましたが、総合商社間の競争で後れを取り、売上拡大を急ぐあまり、不慣れな石油事業や当時既に不振だった繊維部門の拡大に手を出し、リスク管理が不十分となりました。
偽装売上: 実体の伴わない架空取引（三国間貿易の形式だけを借りるなど）で帳簿上の売上を水増しし、予算目標との辻觭合わせを行う粉飾決算が常態化していました。
安宅ファミリーの影響力: 創業者の長男が「安宅ファミリー」と呼ばれる派閥を形成し、人事権を掌握。実務を知らない創業家による介入が、社内を萎縮させ、合理的な判断を妨げました。公私混同も激しく、美術品やクラシックカーの購入といった個人的な趣味に会社の資金が使われました。
原油取引構造のリスク: NRC事業は、変動価格で原油を仕入れ、固定価格で製品を販売する構造でしたが、オイルショックによる原油価格の急騰に対応できず、巨額の赤字を計上しました。

破綻後の影響

安宅産業の破綻は、そこで働く社員たちに大きな影響を与えました。伊藤忠への吸収合併にあたり、大規模な人員削減（希望退職）が行われ、社員たちは激しい競争や葛藤に直面しました。その様子は、松本清張の小説『空の城』や、これを原作とするドラマ『ザ・商社』、ドラマ『岸辺のアルバム』などの題材にもなりました。

社員の多くは、希望退職に応募したり、自然退職したり、分社・独立した関連会社に移ったりと、それぞれの道を歩むことになりました。一部の社員は伊藤忠商事に移籍しましたが、その数は当初の社員数から見れば少数でした。繊維部門は他の商社に吸収されるなど、安宅の事業は様々な形で継承・解体されました。

伊藤忠商事は、安宅から鉄鋼や機械関連などの部門を引き継いだことで、従来の繊維中心の体質から脱却し、名実ともに総合商社として強化される契機を得ました。合併に伴う多数の社員移籍があったため、伊藤忠は合併後の数年間、新卒の総合職採用を見送っています。

住友銀行は、この破綻処理において大きな役割を果たしましたが、その対応には評価と批判の両方があります。強引な処理を進めた点は称賛される一方、安宅の実態を正確に把握していなかったという批判も免れません。また、安宅の損失挽回を目指した高収益追求が、後のバブル期の不正融資問題につながった側面も指摘されています。

安宅産業が所蔵していた美術品コレクションは、住友銀行が継承した後、住友グループからの寄付金とともに大阪市に寄贈され、大阪市立東洋陶磁美術館設立の基となりました。現在も「安宅コレクション」として展示されています。

安宅産業破綻は、高度経済成長期を経てバブル経済へと向かう日本の企業社会において、総合商社の脆弱な一面、そして官民一体となった危機対応のあり方を浮き彫りにした、歴史的な出来事。

もう一度検索