定家小本

藤原定家による私的な記録：『定家小本』

『定家小本』は、平安時代後期の歌人・歌学者として名高い藤原定家が記した私的な覚え書きです。公表を意図した書物ではなく、定家自身の個人的なメモとして作成されたと考えられています。そのため、一般的な書籍のような構成や体裁を欠いており、外題や内題、奥書や跋文といったものは一切ありません。

現存するのは、白紙5葉を含む全26葉からなる唯一の写本のみです。そのうち、約3分の1が定家自身の筆跡と確認されています。この写本は、三重の箱に入れられており、外箱と中箱に「定家小本」の文字が記されています。

歴史的には、加賀藩前田家の蔵書として保管されていましたが、1925年（大正14年）の前田家書画売り立てによって、当時の著名な収集家益田孝氏へと渡りました。その後、幾人かの個人コレクターを経て、現在は天理大学附属天理図書館に所蔵され、一部が公開されたこともあります。

内容：和歌と古典文学への洞察

『定家小本』の内容は大きく分けて二つの部分から成り立っています。一つは和歌に関する記述で、もう一つは『源氏物語』や『大和物語』といった古典文学作品に関する解釈です。ただし、写本自体には明確な章立てはなく、これらの区分は後世の研究者による便宜的なものです。

和歌に関する部分は、定家が編纂に関わった『新古今和歌集』の下書きのような性格を持っています。157首の歌が記されており、定家自身の歌も4首含まれています。特に『古今和歌六帖』からの引用が100首以上と多く、その選歌の基準や考え方が伺えます。

一方、『源氏物語』に関する解釈は、定家による注釈書として知られる『奥入』と密接な関係を持っています。『奥入』よりも簡潔で、より原初的な形態を残していると考えられています。興味深いのは、その内容が、従来「第二次奥入」とされていたものに近いという点です。このことから、『奥入』の成立順序に関する従来の説を覆す可能性も示唆されており、研究者にとって重要な論点となっています。

研究史と資料

『定家小本』は、その稀少性と内容の重要性から、古文献研究において貴重な資料とされています。これまで、様々な研究者によって翻刻や影印が作成され、その内容が詳細に検討されてきました。これにより、定家の和歌観、古典文学への理解、さらには『奥入』の成立過程といった、多角的な研究が深まっています。

近年では、天理大学附属天理図書館による影印本『新天理図書館善本叢書　6　定家筆古記録』が出版され、より多くの人が『定家小本』の内容に触れることができるようになりました。今後も、この貴重な資料の研究は、平安時代の文学や文化を理解する上で重要な役割を果たし続けるでしょう。

参考文献

呉文炳『定家珠芳』理想社、1967年
待井新一「翻刻　定家小本」紫式部学会編『古代文学論叢 第6輯 源氏物語とその影響 研究と資料』武蔵野書院、1978年
「定家小本」天理大学附属天理図書館編集『新天理図書館善本叢書　6　定家筆古記録』天理大学出版部、八木書店、2015年
伊井春樹編『源氏物語　注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年

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