将棋所

江戸時代の将棋界を支えた「将棋所」：家元制度と御城将棋の実像

江戸時代、将棋界の頂点に君臨した存在として知られる「将棋所」。これは、将棋の名人を世襲した大橋家、大橋分家、伊藤家の家元が名乗った称号です。彼らは寺社奉行の管轄下にあり、長らく幕府公認の役職だと考えられてきました。しかし、近年の研究では、その実態は異なる見解が示されています。

将棋所の成立と変遷

徳川家康は囲碁と将棋を愛好し、優れた棋士には俸禄を与えていました。当初は、囲碁と将棋を統括する「碁将棋所」が存在したとされ、本因坊算砂がその役割を担っていたとされています。しかし、慶長17年（1612年）に将棋所が独立し、初代大橋宗桂がその地位に就いたとされています。日本将棋連盟はこの年を宗桂の名人襲位年としていますが、歴史家・増川宏一氏は、この頃には「名人」「碁所」「将棋所」といった名称はまだ存在せず、後世の創作の可能性を示唆しています。

増川氏の研究によると、慶長17年時点では個人への扶持のみで、家への家禄が支給されたのは寛永12年（1635年）、囲碁・将棋家が寺社奉行の管轄下に入ったのが寛文2年（1662年）とのことです。江戸幕府の崩壊まで将棋所は存続し、家元三家には幕府から俸禄が与えられましたが、その見返りとして、将軍の面前で将棋を指す「御城将棋」を行う義務がありました。

明治維新後、幕府の支援を失った将棋所は消滅し、名人の世襲も廃止されました。その後、明治時代には推薦制、昭和時代には実力名人制へと移行していきます。

将棋所の真相：称号としての「将棋所」

従来、将棋所は幕府公認の役職と考えられてきましたが、1981年に大橋家から日本将棋連盟に寄贈された「大橋家文書」の発見により、新たな事実が明らかになりました。それによると、将棋所は、幕府との連絡役を務める将棋家の代表が名乗っていた称号に過ぎなかったのです。

明和元年（1764年）、寺社奉行は大橋家当主・八代大橋宗桂に将棋所の官職の有無を尋ね、宗桂は自己申告の称号であると回答したとあります。寛政9年（1797年）には、俸禄支給の際に「将棋所」を名乗ろうとしたものの、正式な役職ではないとして「将棋の者」と改めるよう指示された記録も残っています。

御城将棋：儀式化された将軍への「献技」

御城将棋は、江戸時代の将棋所が江戸城内で毎年1回行っていた対局です。当初は時期が不定でしたが、後に旧暦11月17日と定められました。これは、大坂冬の陣の吉例や徳川家康の月命日説など、諸説があります。現在、11月17日は「将棋の日」となっています。

長らく、御城将棋は将軍への御前試合であり、参加棋士はどんな理由があっても退席できないとされてきました。しかし、大橋家文書などの研究により、その認識は必ずしも正しくないことが判明しました。実際は、将軍が観戦することはまれで、老中が短時間観戦する程度だったようです。

当初は当日中に勝負をつける慣例でしたが、間に合わない場合は老中の家に移って指し継がれることもありました。煩雑さを避けるため、元禄頃からは事前に指し、城内では手順を再現する儀式と化していきました。御城将棋自体は儀式化されましたが、対局後の指導対局は継続され、江戸幕府崩壊まで行われました。元治元年（1864年）、御城将棋・御城碁は中止となり、その歴史に幕を閉じました。現在の関西将棋会館5階は、江戸城の御城将棋開催場所「御黒書院」を模して造られています。

これらの史料から、将棋所は幕府公認の役職というよりは、将棋家元が独自に名乗った称号であり、御城将棋も将軍への献技という側面よりも、家元としての権威を示す儀式的な側面が強かったことが分かります。近年の研究成果は、江戸時代の将棋界の実像をより深く理解する上で重要な役割を果たしています。

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