少将滋幹の母

少将滋幹の母：永遠の女性像と愛憎劇の渦巻く平安絵巻

谷崎潤一郎の長編小説『少将滋幹の母』は、平安時代を舞台にした王朝物時代小説です。老年の藤原国経とその美しい妻・北の方、そして若き左大臣藤原時平の愛憎劇を中心に、国経と北の方の間に生まれた息子・滋幹の視点も交えながら、複雑に絡み合う人間関係を描いています。

物語は、国経が高齢にも関わらず美しい北の方を愛し、その妻を時平に奪われたことから始まります。時平は北の方を奪うだけでなく、国経への侮辱にも似た態度を取ります。この出来事が、国経の強い嫉妬と執着、そして時平の傲慢さを浮き彫りにします。

この物語の主題は、滋幹が失った母への切ない想いと、その母を取り巻く男たちの欲望です。北の方は、類稀な美女として描かれながらも、その内面はほとんど語られず、神秘的な存在として描かれています。この曖昧さが、周囲の男たちの行動を際立たせています。

国経、時平、そして北の方のかつての恋人である平中。それぞれの男たちは、北方への欲望を異なる形で表現します。国経は執着に囚われ、時平は強引に奪い、平中は過去の思い出に浸る。彼らの行為は、北の方という存在を通して、平安貴族社会における権力闘争や人間の欲望を鮮やかに描き出しています。

滋幹は、母への愛情を強く抱いていますが、その感情は、他の男たちの欲望と複雑に絡み合います。物語の終盤、滋幹は月夜に桜の下で母と再会しますが、その再会の場面は、谷崎潤一郎が創作した「滋幹日記」という架空の日記に基づいているとされています。この設定が、物語全体にフィクションの厚みと奥行きを与えています。

谷崎潤一郎は、『今昔物語集』や『平中物語』『後撰集』『十訓抄』といった古典作品から様々なエピソードを取り入れ、物語を豊かに彩っています。歴史的事実に基づきながらも、谷崎潤一郎独特の視点と解釈が加えられ、現実と虚構の境が曖昧になることで、読者の想像力を掻き立てます。

『少将滋幹の母』は、単なる歴史小説にとどまらず、人間の深層心理、特に母性と愛憎、そして人間の欲望の本質を深く探求した作品と言えるでしょう。老いること、失うこと、そして永遠に続く母への愛情という普遍的なテーマが、鮮やかに描かれています。

舞台化・映像化

『少将滋幹の母』は、その高い文学性から、数多くの舞台や映像作品として脚色・制作されてきました。

舞台

秋の東をどり『少将滋幹の母』: 1950年初演。新橋演舞場にて上演され、大評判を呼び、東をどりの定番演目となりました。舟橋聖一の脚色による舞踊劇。
歌舞伎『少将滋幹の母』: 1951年初演。関西歌舞伎の再興に貢献した作品で、三代目市川壽海の時平役は絶品と評されました。舟橋聖一の脚色・演出による作品は、現在も再演されています。
新派公演『少将滋幹の母』: 1971年初演。

映像

ラジオドラマ『少将滋幹の母』: 1962年放送。NHKラジオ第2放送で放送された。
テレビ文学館『少将滋幹の母』: 1968年放送。NET系列で放送された。
時代劇スペシャル『母恋ひの記～谷崎潤一郎「少将滋幹の母」より～』: 2008年放送。NHK総合テレビで放送された。原作から大幅に脚色された異色作。

これらの舞台や映像作品は、それぞれの演出家の解釈によって、異なる魅力を放っています。原作小説の世界観を忠実に再現したものから、大胆なアレンジを加えたものまで、多様な表現が試みられてきました。

『少将滋幹の母』は、発表から今日まで、多くの読者や観客を魅了し続ける、谷崎潤一郎を代表する不朽の名作です。その時代を超越したテーマと、繊細かつ大胆な描写は、これからも多くの人の心を捉え続けることでしょう。

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